アレッサンドロ・ザナルディ
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アレッサンドロ・ザナルディ
Alessandro Zanardi
アレッサンドロ・ザナルディ
(2014年)
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1966-10-23) 1966年10月23日(57歳)
アレッサンドロ・レオーネ・ザナルディ
Alessandro Leone Zanardi
出身地 イタリア
ボローニャ

基本情報
世界ツーリングカー選手権での経歴
デビュー2005
所属BMW・チーム・イタリア-スペイン(英語版)
車番9
出走回数105
優勝回数4
ポールポジション1
ファステストラップ4
シリーズ最高順位10位 (2005)

基本情報
F1での経歴
活動時期1991,1992,1993,1994,1999
所属チーム'91 ジョーダン
'92 ミナルディ
'93,'94 ロータス
'99 ウィリアムズ
出走回数44 (41スタート)
タイトル0
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数0
通算獲得ポイント1
ポールポジション0
ファステストラップ0
初戦1991年スペインGP
最終戦1999年日本GP

チャンプカーでの経歴
4年の間66レース出場
活動年1996-1998,2001
チームチップ・ガナッシ・レーシング
モー・ナン・レーシング(英語版)
最高位1位 (1997), (1998)
初戦1996年開幕戦
(ホームステッド)
最終戦2001年第16戦
(ラウジッツ)
初勝利1996年第9戦
(ポートランド)(英語版)
最終勝利1998年第18戦
(サーファーズ・パラダイス)

優勝数表彰台PP
152810


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獲得メダル
イタリア
男子 自転車競技
パラリンピック
2012 ロンドンハンドサイクル・個人タイムトライアル H4
金2012 ロンドンハンドサイクル・個人ロードレース H4
銀2012 ロンドンハンドサイクル・チームリレー H1-4
2016 リオデジャネイロハンドサイクル・個人タイムトライアル H5
金2016 リオデジャネイロハンドサイクル・チームリレー H2-5
銀2016 リオデジャネイロハンドサイクル・個人ロードレース H5

アレッサンドロ・"アレックス"・レオーネ・ザナルディ(Alessandro "Alex" Leone Zanardi, 1966年10月23日 - )は、イタリアボローニャ出身のレーシングドライバーハンドサイクル選手。通称として、特にアメリカでは「アレックス・ザナルディ」とも呼ばれている。

1991年から1994年と1999年にF1ドライバーとして活動したほか、CARTで2度シリーズチャンピオンに輝いた。また2012年のロンドンパラリンピックのハンドサイクル・タイムトライアル、ハンドサイクル・ロードレースで金メダルを獲得した。
プロフィール
F1前

カートレースからキャリアを開始し、1988年よりイタリアF3に参戦。1991年から国際F3000へステップ・アップし、10戦で2勝・2位4回を記録。クリスチャン・フィッティパルディとチャンピオン争いを展開し注目を浴びることとなった。F1チームからオファーも届き始め、同年8月末にはフットワークからポールリカール・テストに招かれポルシェV12からフォード・DFRエンジンに乗せ換えたばかりでデータ収集を急務としていたFA12Cでテストドライブ100周以上を担当。9月のF1イタリアグランプリでは、新人ミハエル・シューマッハの引き抜きを画策したベネトンロベルト・モレノとの契約を急遽解除したのに関連して、エディ・ジョーダンとモレノが訴訟を起こし移籍差し止めに動いたため、シューマッハのベネトン加入がスムーズに進展しなかった場合の候補として、またモレノへの処遇に怒ったベネトンの同僚ネルソン・ピケが不満をあらわにし、イタリア入りの予定を大幅に遅らせサーキットに現れなかったため、ピケがボイコットする可能性を案じたベネトン側からザナルディに急遽代役の準備を打診。モンツァ・サーキット入りしベネトン・B191に乗るスタンバイをしたという件もあった。結局ピケが姿を現したことでベネトンにはこの時乗らなかったが、イタリアGPでのジョーダンの空席がモレノに決まる前にはすでにジョーダンとザナルディは仮契約を結んでいた[1]
F1第1期
ジョーダン
1991年

第12戦イタリアGP前の騒動を経て、第14戦スペインGPにてジョーダンからF1デビューし、最終戦オーストラリアGPまでの3戦をドライブ。チームへの参加は第13戦ポルトガルGPを迎える前に決定していたが、日程が折り合わず、スペインGPがデビュー戦になったという経緯がある。この件には前述のベネトンによるシューマッハ引き抜き騒動の余波があり、シューマッハのシートを確保するため一方的に解雇したロベルト・モレノをジョーダンに最低でも2戦参戦させる(解雇に不服を示したモレノとベネトンとの裁判の結果及びバーニー・エクレストンの和解案よる条件)ため、フラビオ・ブリアトーレが圧力をかけ、契約を先送りさせたという事情がある。

この年のジョーダンは、中盤からの連続入賞や第11戦ベルギーGPにおけるアンドレア・デ・チェザリスの一時2位走行など、新規参戦チームながら活躍を見せ注目を浴びていた。しかしザナルディが参戦した時点では、コスワースHBエンジンの高額な使用料などで資金難に陥り夏までの勢いを欠いており、入賞を記録することは出来なかったが、豪雨で打ち切りとなった最終戦オーストラリアGPでは一時入賞圏内の5位まで浮上する走りで片鱗を見せた(9位2回、リタイヤ1回)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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