イギリスの政治家アレック・ダグラス=ヒュームAlexander Douglas-Home
1963年頃
生年月日 (1903-07-02) 1903年7月2日
出生地 イギリス イングランド ロンドン
没年月日 (1995-10-09) 1995年10月9日(92歳没)
死没地 イギリス スコットランド コールドストリーム
ヘイゼルのヒューム男爵アレクサンダー・フレデリック・ダグラス=ヒューム(英語: Alexander Frederick Douglas-Home, Baron Home of Hirsel、1903年7月2日 - 1995年10月9日)は、イギリスの政治家、貴族。同国第66代首相(在任:1963年10月18日 - 1964年10月16日)。戦後の保守党政権で閣僚職を歴任し、外務大臣も2期に渡って務めた。父が爵位を継承した1918年4月から自身が爵位を継承する1951年7月までダグラス卿の儀礼称号を使用した。1951年7月に第14代ヒューム伯爵を継承するが、1963年7月には首相就任のために自分一代について爵位を返上している。1974年12月に一代貴族ヘイゼルのヒューム男爵に叙せられた。
経歴
生い立ち1986年のヒューム卿
1903年7月2日にロンドンのメイフェアにて、スコットランド貴族ヒューム伯爵ダグラス・ヒューム家の法定推定相続人であるダグラス卿チャールズ・ダグラス=ヒューム(1918年4月に第13代ヒューム伯爵位を継承)とその妻のリリアン(第4代ダラム伯爵フレデリック・ラムトン(英語版)の娘)の長男として誕生した[3][4]。
イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学した[3]。
政界入りから首相就任まで(英語版)から選出され、保守党の庶民院議員を務めた[3]。1937年から1939年にかけてはネヴィル・チェンバレン首相の議会担当秘書官を務め、1938年9月のミュンヘン会議にも同行した[4]。第二次世界大戦中は病により政治活動を避けたが[4]、第1次チャーチル政権末期の1945年5月から7月までの短期間外務省政務次官(英語版)を務めている[3]。チャーチル保守党政権が惨敗した1945年7月の総選挙で落選した[4]。