この項目では、アメリカ合衆国の野球選手について記述しています。パナマのサッカー選手の同名の人物については「アレックス・ロドリゲス (サッカー選手)」をご覧ください。
アレックス・ロドリゲス
Alex Rodriguezニューヨーク・ヤンキースでの現役時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
ドミニカ共和国
(二重国籍)[1]
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
生年月日 (1975-07-27) 1975年7月27日(48歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手、三塁手、指名打者
プロ入り1993年 MLBドラフト1巡目(全体1位)でシアトル・マリナーズから指名
初出場1994年7月8日
最終出場2016年8月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
シアトル・マリナーズ (1994 - 2000)
テキサス・レンジャーズ (2001 - 2003)
ニューヨーク・ヤンキース (2004 - 2013, 2015 - 2016)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
WBC2006年
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アレクサンダー・エマニュエル・ロドリゲス(Alexander Emmanuel Rodriguez, 1975年7月27日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区出身の元プロ野球選手、野球解説者。愛称はA-Rod(エー・ロッド)。
甥はアトランタ・ブレーブス傘下のジョー・デュナンド。 1975年7月27日、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる。生家は靴屋を営んでおり、父ビクターに母ローデス、兄ジョセフに妹スージーという5人家族の次男として育つ。 4歳の時、家族はドミニカ共和国のサントドミンゴに移住した。ビクターはドミニカ共和国のマイナーリーグでキャッチャーを務めることになり、息子たちを試合観戦にたびたび招いていた。ビクターは引退後、薬局の経営者へと転身し、最終的にマイアミに落ち着いた。 8歳の時、両親が離婚。母方の親権となり、ローデスは女手ひとつで仕事を掛け持ちし、息子たちを育てた。この頃からメジャーリーグに興味を持ち始め、お気に入りの選手はデール・マーフィーとキース・ヘルナンデス、カル・リプケン・ジュニアだった。 高校時代、野球の傍らバスケットボールやアメリカン・フットボールにも興じる。バスケットボールでは常にレギュラー選手、アメリカン・フットボールでは優秀なクォーターバックとして多くの大学スカウトの目に留まり、野球では100試合に出場して打率.419、本塁打17、70打点、90盗塁を記録し、1993年のオール・アメリカンに選ばれるなど、卓越した運動神経を見せる[2]。 1993年、マイアミ大学への入学書へサインをしていたが、シアトル・マリナーズにドラフト1巡目(全体1位)で指名され[3]、契約を結びプロ入りを果たした。 1994年7月8日のボストン・レッドソックス戦で、1900年以降のMLBの遊撃手としては史上3人目となる18歳で、メジャーデビューを果たした。
経歴
プロ入り前
プロ入りとマリナーズ時代マリナーズ傘下カルガリー・キャノンズ時代のロドリゲス(1994年)