アレックス・ブレグマン
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アレックス・ブレグマン
Alex Bregmanヒューストン・アストロズ #2
2019年3月3日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ニューメキシコ州アルバカーキ
生年月日 (1994-03-30) 1994年3月30日(30歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手遊撃手
プロ入り2015年 MLBドラフト1巡目(全体2位)
初出場2016年7月25日
年俸$30,166,666(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


アルバカーキ・アカデミー

ルイジアナ州立大学

ヒューストン・アストロズ (2016 - )

国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
WBC2017年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
男子 野球
アメリカ合衆国
ワールド・ベースボール・クラシック
2017

アレックス・ブレグマン(英語: Alex Bregman, 本名:アレクサンダー・デイビッド・ブレグマン(Alexander David Bregman, 1994年3月30日 - )は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州アルバカーキ出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。MLBヒューストン・アストロズ所属。愛称はA-Breg[2]
経歴
プロ入り前

2010年に16歳の高校2年生ながらCOPABEパンアメリカン野球選手権大会のU-16アメリカ合衆国代表に選ばれ、チームは優勝、自身もMVPに選出された[3]。また、USA Baseball年間最優秀選手賞(英語版)を受賞した初の高校生となった[4]2011年にはジュニアとして打率.678・19本塁打を記録し、ニューメキシコ州のシーズン記録を樹立した[5]。この年はU-16アメリカ合衆国代表に選ばれ、チームを国際野球連盟世界選手権優勝へ導いた[6]2012年MLBドラフト29巡目(全体901位)でボストン・レッドソックスから指名されたが、ルイジアナ州立大学(LSU)へ進学した。

LSUでの3年間の大学野球では、2013年にはBaseball Americaによりこの年の全米学生新人王に選ばれ、ブルックス・ウォレス賞(英語版)を受賞した[6]。全米代表にも2回選ばれ[7]第39回日米大学野球選手権大会の一員として来日している。
プロ入りとアストロズ時代

2015年MLBドラフトダンズビー・スワンソンに次ぐ全体2位でヒューストン・アストロズから指名され[8]、6月25日に契約金590万ドルで契約[9][10]。契約後はA級クァッドシティズ・リバーバンディッツ(英語版)で29試合に出場後、7月27日にA+級ランカスター・ジェットホークスへ昇格。A+級ランカスターでは37試合に出場し、打率.319、3本塁打、21打点、8盗塁だった。

2016年の開幕前に発表されたBaseball Prospectusによるアストロズ内のトッププロスペクトでは1位[11]に、ベースボール・アメリカ誌では3位[12]に選出されるなど期待されていたが、スプリングトレーニングでは13試合の出場で打率.087だった。AA級コーパスクリスティ・フックスで開幕を迎え、62試合に出場すると、打率.297、14本塁打、46打点、5盗塁と活躍。テキサスリーグのオールスターゲームに選出された[13]。6月30日にAAA級フレズノ・グリズリーズへ昇格。AAA級でも18試合の出場で打率.333、6本塁打、15打点、2盗塁と好調を維持した。この活躍により、USAトゥデイ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞を受賞した[14]。7月25日にアストロズとメジャー契約を結び[15]、同日のニューヨーク・ヤンキース戦で「6番・三塁手」として先発起用されメジャーデビュー。この日は4打数無安打2三振に終わった[16]。昇格後6試合目となった7月31日のデトロイト・タイガース戦でようやくメジャー初安打を記録[17]。その後は三塁手のルイス・バルブエナが故障者リスト入りしたため、三塁手のレギュラーを獲得。しかし、ユリエスキ・グリエルの加入により9月に入ると出場機会が減少した。この年は49試合に出場し、打率.264、8本塁打、34打点だった。翌年の新人王の受賞資格はなくなった。

2017年はシーズン開幕前の1月13日に自身のツイッターで第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表への参加の意思を表明し[18]、選出された[19]。同大会では正三塁手はノーラン・アレナドだったため出場機会は限られ、2試合で打率.500(4打数2安打)であった。アメリカは3月22日の決勝戦でプエルトリコを破り、初の優勝を果たした[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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