アレックス・バロス
2004年スペインGP
グランプリでの経歴
国籍 ブラジル
活動期間1986 - 2005, 2007
チームヤマハ、カジバ、スズキ、ホンダ、ドゥカティ
レース数276
優勝回数7
表彰台回数32
通算獲得ポイント2123
ポールポジション回数5
ファステストラップ回数14
初グランプリ1986 80cc スペイン
初勝利1993 500cc FIM
最終勝利2005 MotoGP ポルトガル
最終グランプリ2007 MotoGP バレンシア
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アレックス・バロス(Alex Barros)ことアレシャンドリ・アブラゥン・コエーリョ・ジ・バホス(Alexandre Abrahao Coelho de Barros 、1970年10月18日 - )は、ブラジル、サンパウロ出身のオートバイ・ロードレースライダー。
長きにわたってロードレース世界選手権のトップライダーとして活躍。1999年、岡田忠之とのコンビで鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝。2006年にはスーパーバイク世界選手権に参戦した。2007年はMotoGPに復帰。レインコンディションのレースに滅法強い。2007年最終戦をもって、MotoGPライダーとしての現役引退を発表した。
現役当時、日本のメディアにおいてはアレッシャンドレ・バロスと頻繁に表記されていた。 順位12345678910 順位123456789101112131415 1993年以降のポイントシステム 順位123456789101112131415 年クラスチームマシン123456789101112131415161718Pts順位勝数
主なエピソード
WGPデビューは1986年のGP80ccクラスであるが、年齢詐称が発覚し1988年に再デビュー。正確な記録は不明だが、おそらく史上初の珍事である。当時はGPエントリーの最低年齢が16歳以上であったため、1986年シーズン中は15歳であったバロスには参加資格がなかった。
当初さほど期待されていたライダーではなかったが、1993年、ラッキーストライク・スズキに移籍後徐々に成績が向上。同年の最終戦FIMグランプリ(ハラマ)で念願の初優勝を遂げる。デビューから7年近い歳月が経っており、それ以降急激にライダーとして開花してゆく。21世紀を迎え大ベテランになってもなお成長し続けたライダーである。
非常にブレーキングポイントが深い突っ込み重視型のコーナリングのため、追走車にとって攻略が難しく阿部典史らライバル達を手こずらせた。
温泉好きで知られており、鈴鹿での日本GPの際には鈴鹿サーキット内のクアガーデンにて温泉を楽しむ彼を目撃することができる。
デビュー当初からかなり長い期間DIC(大日本インキ化学工業)製ヘルメットを使用していた。なぜ日本のマイナーメーカと突如契約したのかは不明。
主な戦績
ロードレース世界選手権
ポイント1512108654321
ポイント201715131110987654321
ポイント252016131110987654321
凡例
ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
198680ccリエフSPA
NCITA
NCGER
11AUT
23YUG
NCNED
NC616位0
Autisa
8SWE
-RSM
8BWU
-
198780ccカサルSPA
NCGER
11ITA
NCAUT
8YUG
10NED
22GBR
-CZE
NC817位0
ArbizuRSM
7POR
NC
1988250ccベネモトス・ヤマハTZ250JPN
-USA
-SPA
-EXP
-ITA
-GER
-AUT
-NED