アレックス・ツェーレ
[Wikipedia|▼Menu]
アレックス・ツェーレ

獲得メダル

1996 ルガーノ個人タイムトライアル

アレックス・ツェーレ(Alex Zulle、1968年7月5日 - )は、スイス自転車競技選手。本来の発音はツュレが近いが、日本ではツェーレやツーレと表記されることが多く、近年はツーレという表記が増えている。
経歴

1991年よりオンセチームの一員となり、すぐさま同チームのエースとなる。1992年にはカタルーニャ一周レースの個人タイムトライアルでインドゥラインの連勝記録を阻止する大金星を上げ、ツール・ド・フランスにおいては、1995年に5連覇を果たしたミゲル・インドゥラインに食らいつき、総合2位(区間1勝)に入るが、ここからツェーレの名はロードレース界においては欠かせないものとなっていく。ブエルタ・ア・エスパーニャ1996年1997年と連覇し、96年には地元・スイスのルガーノで開催された世界自転車選手権の個人タイムトライアルを優勝。しかしその後オンセではローラン・ジャラベールの台頭が著しくなったことから、1998年にフェスティナに移籍。

だがそのフェスティナ時代、ツール・ド・フランスにおいてチームぐるみのドーピングスキャンダル(フェスティナ事件)が発覚、前年まで4年連続で山岳賞を獲得していたリシャール・ヴィランクら強豪選手と共にチーム全員が大会から追放される。取調べでツェーレは本件で問題となったエリスロポエチンの使用を認めると同時に「使用は(個人が行なったものではなく)スポンサーのためだった」というドーピングがチームによる組織的なものであることを示唆する供述を行なった。

その後バネストに移籍、翌1999年ツールでは、序盤の集団落車により絶望的な状況に追い込まれるものの、この大会から連覇街道をひた走ることになるランス・アームストロング(ドーピングによりタイトル剥奪及び永久追放)に続いて再び総合2位に食い込んだ。2002年ツール・ド・スイスで総合優勝を果たす。2004年に引退した。

現役時代は肝心な所での落車が多く、優勝候補と目されたレースでも度々棒に振ることがあった。これは極度の近視によるもので、監督からは常々視力矯正手術を受けるよう要請されていたが、最後まで眼鏡レンズを内蔵したゴーグルの使用にこだわった。
外部リンク



アレックス・ツェーレ - サイクリングアーカイヴス(英語)

アレックス・ツェーレ - Olympedia(英語)










ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝者

   

1935    フスターフ・デロール
1936    フスターフ・デロール
1937  スペイン内戦
1938  スペイン内戦
1939  スペイン内戦

1940  スペイン内戦
1941    フリアン・ベレンデロ
1942    フリアン・ベレンデロ
1943  第二次世界大戦
1944  第二次世界大戦
1945    デリオ・ロドリゲス
1946    ダルマシオ・ランガリカ
1947    エドワード・ファン・ダイク
1948    ベルナルド・ルイス
1949  中止

1950    エミリオ・ロドリゲス
1951  未開催
1952  未開催
1953  未開催
1954  未開催
1955    ジャン・ドット
1956    アンジェロ・コンテルノ
1957    ヘスス・ロロニョ
1958    ジャン・スタブリンスキ
1959    アントニオ・スアレス

1960    フランス・デ・ムルダー
1961    アンヘリノ・ソレル
1962    ルディ・アルティヒ
1963    ジャック・アンクティル
1964    レイモン・プリドール
1965    ロルフ・ヴォルフショール
1966    フランシスコ・ガビカ
1967    ヤン・ヤンセン
1968    フェリーチェ・ジモンディ
1969    ロジェ・パンジョン

1970    ルイス・オカーニャ
1971    フェルディナント・ブラック
1972    ホセ・マヌエル・フエンテ
1973    エディ・メルクス


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:37 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef