アレックス・ジェームス
Alex James
ニューカッスルでのライヴ(2009年)
基本情報
出生名スティーブン・アレクサンダー・ジェームス
Stephen Alexander James
生誕 (1968-11-21) 1968年11月21日(55歳)
出身地 イングランド、ボーンマス
ジャンルオルタナティヴ・ロック、エレクトロニカ、ブリットポップ
職業ミュージシャン、ソングライター、作家、コラムニスト、酪農家、モデル
担当楽器ベース、コントラバス、ギター、ピアノ、キーボード、ボーカル
活動期間1988年 -
共同作業者ブラー、ミー・ミー・ミー
スティーヴン・アレクサンダー・ジェームス(Stephen Alexander James、1968年11月21日 - )は、イギリス・ボーンマス生まれのミュージシャン。イギリスを代表するロックバンド、ブラーのベーシストとして知られる。 イングランドのドーセット州ボーンマスで生まれる。グラマースクール時代には、学生生活の途中までオックスフォード大学に進めるだけの学業成績を収め、また高等教育修了時のAレヴェルの試験では、大学時代の専攻科目であるフランス語の他に物理、化学でも合格する程の秀才であった。グラマースクール卒業後、モラトリアムの1年を経た1987年9月、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジに入学。同じく新入生として入学したグレアム・コクソンとすぐに打ち解け、親友となった。大学2年時の1988年12月にグレアムの誘いで、デーモン・アルバーン、グレアム、デイヴ・ロウントゥリーらのバンド、「サーカス」に加入しベースを担当。アレックスの加入により4人編隊となったバンドは「シーモア」に名前を変えると1990年3月、バンド名をさらに「ブラー」に変えメジャー・デビューを果たす。プロデビューを機にアレックスは学業から離れた。 ニュー・オーダーやデュラン・デュランなどを初めとしたポップな音楽を好んでいることで知られ、アルバム制作時はデーモンやグレアムと衝突することも少なくなかったという。バンドがブレイクする切っ掛けにもなった1994年のシングル「ガールズ&ボーイズ」でノリの良い印象的なベースパートを考え付いたり、デモ制作時レゲエ調の曲であり、お蔵入りになりかけていた「ザ・ユニヴァーサル」をバラード曲として復活させることを提案するなど、ブリットポップ時代の重要な楽曲の制作過程で大きな影響を与え、バンドに高く貢献している。アルバム『パークライフ』の収録曲「ファー・アウト」ではボーカルも披露している。 気難しいブラーのメンバーの中では最も明るくフレンドリーであり、インタビューにも気さくに応じるなどバンドのスポークスマン的役割もこなしている。ブラーの活動が下火になった2003年以降は、多数の新聞・雑誌でコラム連載を行っている他、テレビ、ラジオにも積極的に出演し、また酪農家(チーズメーカー)としても腕前を高く評価されるなど、持ち前の社交性と好奇心から音楽以外の活動でも多才ぶりを発揮している。
来歴・人物
他のミュージシャンとの活動2009年撮影
アレックスはデーモンやグレアムのようにソロ名義でのリリースはなく、ブラー以外での音楽活動は他のバンドへの参加やコラボレーションを中心としている。またサイドプロジェクトも含め、アルバムのリリースはしていない。
1998年に友人のキース・アレンやダミアン・ハーストらとファット・レスを結成し、FIFAワールドカップの公式応援歌が気に入らないという理由でFAの許可無しにゲリラ的にリリースした「ヴィンダルー」が、非公式応援歌ながら100万枚以上を売り上げた。また、エラスティカのドラマーであるジャスティン・ウェルチやスティーヴン・ダフィらとミー・ミー・ミーを結成。リードシングル「ハンギング・アラウンド」では一部のパートでアレックスもボーカルをとっている。これまでにスティーヴン・ダフィの楽曲に計5曲参加している。
マリアンヌ・フェイスフル、ソフィー・エリス・ベクスター、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、KTタンストールらの楽曲では共同作曲で参加。