アレックス・コーラ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はコーラ、第二姓(母方の)はアマロです。

アレックス・コーラ
Alex Coraボストン・レッドソックス 監督 #13
ワシントン・ナショナルズでの現役時代
(2011年5月22日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコ自治連邦区カグアス
生年月日 (1975-10-18) 1975年10月18日(48歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション内野手
プロ入り1996年 MLBドラフト3巡目
初出場1998年6月7日
最終出場2011年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


コレヒオ・バティスタ高等学校

マイアミ大学

ロサンゼルス・ドジャース (1998 - 2004)

クリーブランド・インディアンス (2005)

ボストン・レッドソックス (2005 - 2008)

ニューヨーク・メッツ (2009 - 2010)

テキサス・レンジャーズ (2010)

ワシントン・ナショナルズ (2011)

監督・コーチ歴

ヒューストン・アストロズ (2017)

ボストン・レッドソックス (2018 - 2019, 2021 - )

国際大会
代表チーム プエルトリコ
WBC2006年2009年
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ホセ・アレクサンデル・コーラ・アマロ(Jose Alexander Cora Amaro, 1975年10月18日 - )は、プエルトリコカグアス出身の元プロ野球選手内野手)、監督。右投左打。現在は、MLBボストン・レッドソックスの監督を務めている。

兄のジョーイも同じく、元メジャーリーガー(内野手)である。
経歴
プロ入り前

1993年MLBドラフト12巡目(全体345位)でミネソタ・ツインズから指名を受けたが、契約せずにマイアミ大学へ進学した。1996年にチームは全米大学野球の頂点を決める、カレッジワールドシリーズに進出した。1996年のカレッジワールドシリーズの決勝戦で対戦相手のルイジアナ州立大学のウォーレン・モリス(英語版)にサヨナラ本塁打を打たれて敗れた時、グラウンドで泣き崩れる姿が全米で映し出された。
プロ入りとドジャース時代ロサンゼルス・ドジャースでの現役時代
(2004年5月16日)

1996年MLBドラフト3巡目(全体88位)でロサンゼルス・ドジャースから指名を受け、今度は契約した。メジャーデビューは1998年6月7日のシアトル・マリナーズ戦。結果は1打数無安打。

その後、2000年から2004年までの5年間は二塁手遊撃手のレギュラーとして100試合以上に出場。

2004年に、マット・クレメント(当時シカゴ・カブス)と対戦した際に、ファウルで14球粘った後に本塁打を放つという珍記録を残している。

2004年に記録した18死球はナショナルリーグで4位だった。また、この年のオフに日米野球MLB選抜で来日している。


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