アレックス・コレチャ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はコレチャ、第二姓(母方の)はベルデガイです。

アレックス・コレチャ
Alex Corretja


アレックス・コレチャ
基本情報
フルネームAlex Corretja i Verdegay
国籍 スペイン
出身地バルセロナ
生年月日 (1974-04-11) 1974年4月11日(50歳)
身長180cm
体重72kg
利き手右
バックハンド片手打ち
ツアー経歴
デビュー年1991年
引退年2005年
ツアー通算20勝
シングルス17勝
ダブルス3勝
生涯通算成績541勝396敗
シングルス438勝281敗
ダブルス103勝115敗
生涯獲得賞金$10,411,354
4大大会最高成績・シングルス
全豪3回戦(1998)
全仏準優勝(1998・2001)
ウィンブルドン(英)2回戦(1994・96)
全米ベスト8(1996)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪3回戦(1998)
全仏出場なし
ウィンブルドン(英)3回戦(1996)
全米3回戦(1996)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝(2000)
キャリア自己最高ランキング
シングルス2位(1999年2月1日)
ダブルス50位(1997年6月9日)
獲得メダル

男子 テニス
オリンピック
2000 シドニーダブルス

■テンプレート  ■プロジェクト テニス

アレックス・コレチャ・イ・ベルデガイ(Alex Corretja i Verdegay、カタルーニャ語発音:  ⇒[?al?ks ku?r?d??] アレックス・クレッジャ、1974年4月11日 - )は、スペインバルセロナ出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは2位。ATPツアーでシングルス17勝、ダブルス3勝を挙げた。身長180cm、体重72kg、右利き。

1998年全仏オープン男子シングルス2001年全仏オープン男子シングルスで準優勝した。ATPツアー世界選手権優勝。
選手経歴

1991年にプロ転向。1994年アルゼンチン・オープンでツアー初優勝。1996年全米オープン準々決勝でピート・サンプラスと最終第5セットのタイブレークまでもつれる死闘を戦い、6-7(5), 7-5, 7-5, 4-6, 6-7(7)で敗れた。1998年全仏オープンで初の4大大会決勝進出を果たしたが、そこでコレチャは2歳年下のカルロス・モヤとスペイン対決でモヤに3-6, 5-7, 3-6のストレートで敗れた。

その雪辱を果たすかのように、同年の男子プロテニスツアー最終戦ATPツアー選手権決勝では、モヤに2セット先取されてからの大逆転勝ちを収めて、同大会の初優勝を飾った。

1999年全豪オープンで、第2シードのコレチャは1回戦で日本鈴木貴男と対戦する。第4セットで鈴木に絶好のチャンスが訪れたが、コレチャが最終第5セットで鈴木を振り切って6-3, 4-6, 3-6, 7-6(5), 6-2で勝利した。コレチャ自身は続く2回戦でノルウェーの選手に敗退する。翌年の2000年全豪オープン2回戦では、地元オーストラリアの新星レイトン・ヒューイットにわずか1ゲームしか奪えずに完敗した。

2000年シドニー五輪でスペイン代表に選ばれ初めて五輪に出場した。シングルスでは3回戦でドイツの銀メダルを獲得したトミー・ハースに敗れた。アルベルト・コスタと組んだダブルスではベスト4に進出し、準決勝でオーストラリアウッディーズ組に3-6, 6-7で敗れたが、3位決定戦で南アフリカ共和国代表のデイヴィッド・アダムズ/ジョン・ラフニー・デ・ヤーガー組に2-6, 6-4, 6-3で勝利し銅メダルを獲得した。

2001年全仏オープンで、コレチャは同大会3年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、今度はグスタボ・クエルテンに7-6, 5-7, 2-6, 0-6で敗れ、またしても準優勝に終わった。2002年全仏オープンでは、準決勝で同じスペインアルベルト・コスタに敗れている。2005年4月最終週、ポルトガル・オープン1回戦で同じスペインの後輩選手、フェリシアーノ・ロペスに敗れた試合を最後に現役を引退した。

スペインには赤土のクレーコートが最も多いため、当地のプロテニス選手は全仏オープンでは抜群の強さを発揮するが、対照的な芝コートの大会であるウィンブルドン選手権を苦手にする選手が多い。コレチャはキャリアを通じてウィンブルドンへの出場は極端に少なく、1998年の全仏オープン準優勝の後に出場したウィンブルドン選手権では初戦敗退に終わったため、長い間遠ざかっていた。2004年に6年ぶりの出場を決めた時も、やはり1回戦で敗退している。

2012年からコレチャはデビスカップスペイン代表の監督を務めている。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 30回 (17勝13敗)

大会グレード
グランドスラム (0-2)
テニス・マスターズ・カップ (1-0)
ATPマスターズシリーズ (2-3)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (5-0)
ATPインターナショナルシリーズ (9?8)

サーフェス別タイトル
ハード (6?3)
クレー (10-10)
芝 (0-0)
カーペット (1-0)

結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
準優勝1.1992年11月2日 グアルジャハード カルステン・アリエンス6?7, 3?6
準優勝2.1994年10月3日 パレルモクレー アルベルト・ベラサテギ6?2, 6?7(6?8), 4?6
優勝1.1994年11月14日 ブエノスアイレスクレー ハビエル・フラナ6?3, 5?7, 7?6(7?5)
準優勝3.1996年5月13日 ハンブルククレー ロベルト・カレテロ6?2, 4?6, 4?6, 4?6
準優勝4.1996年7月29日 キッツビュールクレー アルベルト・ベラサテギ2?6, 4?6, 4?6


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