アレックス・クリビーレ
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はクリビーレ、第二姓(母方の)はタビアスです。

アレックス・クリビーレ
1996年日本GPにて

レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間1987年 - 2001年
初レース1987年 80cc スペインGP
最終レース2001年 500cc ブラジルGP
初勝利1989年 125cc オーストラリアGP
最終勝利2000年 500cc フランスGP
チームデルビ, ハンメル・モーター-スポーツ, JJコバス, ヤマハ, ホンダ
チャンピオン1989年 - 125cc
1999年 - 500cc

出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
193206612202012


アレックス・クリビーレ(Alex Criville Tapias、1970年3月4日 - )は、スペイン出身の元ロードレースライダーバルセロナ県ウゾーナ郡セバに生まれる。ロードレース世界選手権において、125ccクラス(1989年)、500ccクラス(1999年)のチャンピオンとなった。
経歴

1987年、ロードレース世界選手権(WGP)に80ccクラスから参戦を開始。翌年フル参戦しシリーズランキング2位を得ると、125ccクラスにステップアップ。1989年に5勝を挙げ、さっそくタイトルを獲得した。1990年には250ccクラスに昇級するが、2年間は目立った成績を残せなかった。

1992年、母国の元王者シト・ポンスの率いるチームに加入し、最高峰500ccクラスに挑戦を始める。第8戦オランダGPではトップライダーの負傷欠場や転倒が相次いだ波乱のレースを制し、同クラス初優勝を遂げた。活躍が認められ、1994年よりワークスレプソル・ホンダチームに加入。同年から1998年まで5連覇を達成する偉大なエース、マイケル・ドゥーハンのチームメイトとなる。

クリビーレはドゥーハンの間近でライディングやセッティングの技術を学びながら、次第にライバルとして台頭し始める。1996年オーストリアGPでは優勝争いの直接対決で初めて勝利。チェコGPでは1000分の2秒差という写真判定で下した。

しかし、王者の牙城を崩せぬまま迎えた1999年、第3戦スペインGP予選中にドゥーハンが重傷を負い引退してしまう。そのレースを制したクリビーレは、ホンダの新エースとしてタイトル獲得の使命を負うことになる。チームメイトの岡田忠之や、スズキケニー・ロバーツ・ジュニアとの争いとなったが、安定した走りでシーズン6勝を挙げ、念願のチャンピオンに輝いた。WGPに参戦して13年目、スペイン人ライダーとしては初の500ccクラス王者であった。

翌年以降は精彩を欠き、2002年ヤマハのサテライトチームに移籍するが、シーズン前のテスト中に突如レース活動休養を告げ、地元スペインGP前に引退を宣言した。王者となった1999年中から、瞬間的に意識を失う原因不明の症状に悩まされていたことが理由であった ⇒[1]
評価

マイケル・ドゥーハンの全盛期には長く脇役に甘んじた点で、歴代の500ccクラス王者の中では積極的に評価されない面がある。しかし、最下級クラスから最高峰クラスまでステップアップしながら頂点に達した経歴は特異であり、「軽排気量クラス出身者は大成できない」といわれた500ccクラスの定説を破ることになった。また、1997年?1999年にスペインGPを3連覇(1999年は地元カタルーニャGPも制覇)するなど、母国スペインでは国民的英雄として絶大な人気を誇っていた。
記録[1]

1969年から1987年までのポイントシステム

順位12345678910
ポイント1512108654321

1988年から1992年までのポイントシステム

順位123456789101112131415
ポイント201715131110987654321

1993年以降のポイントシステム

順位123456789101112131415
ポイント252016131110987654321

(key)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ

年クラスチーム車両12345678910111213141516ポイント順位勝利数
1987年80ccデルビデルビ 80ESP
2GER
-NAT
-AUT
-YUG
-NED
NCGBR
-CZE
-RSM
-POR
NC1211位0
1988年80ccデルビデルビ 80ESP
3EXP
3NAT
4GER
2NED
NCYUG
3CZE
3902位0
125ccハンメルハンメル 125ESP
-NAT
-GER
-AUT
-NED
-BEL
NCYUG
-FRA
-GBR
9SWE
NCCZE
17731位0
1989年125ccJJコバスコバス-ロータックス 125JPN
-AUS
1ESP
1NAT
NCGER
1AUT
3NED
2BEL
NCFRA
2GBR
2SWE
1CZE
11661位5
1990年250ccマールボロ・ヤマハTZ250JPN
-USA
NCESP
7NAT
NCGER
11AUT
NCYUG
7NED
NCBEL
NCFRA
8GBR
8SWE
9CZE
7HUN
5AUS
67611位0
1991年250ccJJコバスコバス・ホンダ 250JPN
NCAUS
NCUSA
9ESP
NCITA
NCGER
7AUT
9EUR
NCNED
NCFRA
9GBR
NCRSM
NCCZE
5VDM
NCMAL
65113位0
1992年500ccカンプサ-ポンス ホンダNSR500JPN
NCAUS
7MAL
3ESP
NCITA
8EUR
NCGER
4NED
1HUN
DSQFRA
NCGBR
NCBRA
6RSA
7598位1
1993年500ccマールボロ-ポンス ホンダNSR500AUS
6MAL
5JPN
5ESP
3AUT
NCGER
4NED
3EUR
NCRSM
NCGBR
NCCZE


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