アレサンドロ・ペタッキ
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アレッサンドロ・ペタッキ
Alessandro Petacchi


個人情報
本名Alessandro Petacchi
アレッサンドロ・ペタッキ
愛称アレ・ジェット
生年月日 (1974-01-03) 1974年1月3日(45歳)
国籍 イタリア
身長184cm
体重73kg
チーム情報
所属引退
分野ロードレース
役割選手
特徴スプリンター
プロ所属チーム
1996–1998
1999
2000–2005
2006–2008
2009
2010–2013

2013/8

2015スクリーニョ
ナビガーレ・ガエルネ
ファッサ・ボルトロ
チーム・ミルラム
LPR・ブレークス
ランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニ
オメガファーマ・クイックステップ
サウスイースト・プロサイクリング・チーム
グランツール最高成績
主要レース勝利
ジロ・デ・イタリア ポイント賞 (2004)
ジロ・デ・イタリア 通算22勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ ポイント賞 (2005)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 通算20勝
ツール・ド・フランス ポイント賞 (2010)
ツール・ド・フランス 通算6勝
最終更新日
2017年9月20日

アレッサンドロ・ペタッキ(Alessandro Petacchi、1974年1月3日-)はイタリアリグーリア州ラ・スペツィア生まれの元自転車プロロードレース選手。1996年スクリーニョ・ブルーストームでプロデビュー。爆発的なスプリント力を持ち「アレ・ジェット (Ale-Jet)」の異名で呼ばれるスプリンター

ステージレースを中心に、数多くのレースで優勝を飾っている。ジロ・デ・イタリアでは2004年にポイント賞(マリア・ロッソ・パッショーネ)を獲得したほか、年間ステージ最多勝記録(9勝)も保持している。ツール・ド・フランスでも2010年にポイント賞(マイヨ・ヴェール)を獲得し、2005年にスプリント賞を獲得したブエルタ・ア・エスパーニャを含め、3大グランツール全てのポイント賞を獲得した。
目次

1 略歴

2 レーススタイル

3 人物

4 エピソード

5 所属チーム

6 主な成績

6.1 グランツール

6.2 ステージレース

6.3 ワンデイレース


7 脚注

8 外部リンク

略歴

12歳の時、実父の影響で競技用自転車に乗り始め、まもなくレースに参加し始めるようになる(最初に参加したレースは4位であったと本人は語っている)。

プロデビューしてからしばらくはスプリンターとしての才能を自覚しておらず、 ファブリッツィオ・グイディのアシストを務めていた。

しかし ファッサ・ボルトロ(英語版)に移籍した2000年ブエルタ・ア・エスパーニャでの2勝(第8、12)を含む9勝をあげ、2001年は5勝に留まるが、2002年は再びブエルタ・ア・エスパーニャでも勝利して年間12勝。徐々に才能を開花させていく。

2003年

ジロ・デ・イタリアの第1ステージで勝利をあげると、その勢いのまま6勝(1、5、6、13、16、17の各ステージ) 。しかし難関山岳の第18ステージでタイムオーバー、ポイント賞ジャージ着用のまま無念のリタイアとなった。

ツール・ド・フランス(2、3、5、6の各ステージ)で4勝、ブエルタ・ア・エスパーニャ(3、5、12、14、21の各ステージ)でも5勝をあげて、グランツールの年間最多ステージ優勝を記録する大活躍をみせ、トップスプリンターとしての地位を確立した。ただし、ツール・ド・フランスは第7ステージの山岳初日でリタイヤした。

2004年

ジロ・デ・イタリアの全21ステージ中9ステージ(2、5、7、9、11、13、15、16、21の各ステージ)で優勝。圧倒的な成績で、初のポイント賞を獲得。

2005年

スプリンターの憧れであるミラノ?サンレモで優勝。

ジロ・デ・イタリアでステージ4勝。

ブエルタ・ア・エスパーニャではステージ5勝(3、4、8、12、21の各ステージ)に加え、ポイント賞も獲得し、年間を通して大活躍した。

2006年

ファッサボルトロの解散に伴い、チーム・ミルラムに移籍。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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