アレゲーニー山脈 (Allegheny Mountains)
山脈
アレゲーニー山脈最高点スプルース・ノブからの眺望
国アメリカ合衆国
州メリーランド州, ペンシルベニア州, バージニア州, ウェストバージニア州
所属アパラチア山脈
近隣カンバーランド山脈
最高地スプルース・ノブ
- 所在地ウェストバージニア州ペンドルトン郡
- 標高4,863ft (1,482.2m)
地質砂岩, 珪岩
造山運動アレゲーニー造山運動
アパラチア山脈の中のアレゲーニー山脈(紫色)とアレゲーニー台地(ピンク)
アレゲーニー山脈(アレゲーニーさんみゃく、英: Allegheny Mountains, Allegheny Mountain Range, 非公式に the Alleghenies とも、 [?al???e?ni]、綴りは"Alleghany"や"Allegany"もある)は、アメリカ合衆国とカナダの東部に連なる長大なアパラチア山脈の一部(北東部)をなす山脈である。北東から南西に向かっており、ペンシルベニア州北中部からメリーランド州西部とウェストバージニア州東部を抜け、ウェストバージニア州南西部まで、総延長は約400マイル (640 km)ある。 アレゲーニーという名前はペンシルベニア州中西部にあるアレゲーニー山脈のほんの小部分から流れ出るアレゲーニー川から来ている。レナペ族(デラウェア族)インディアンの言葉であり、その意味について確たるものは知られていないが、通常「素晴らしい川」と訳されている。レナペ族の伝説によれば、アレゲーニー川沿いに住み、レナペ族に打ち破られた「アレゲウィ」(Allegewi)族と呼ばれる古代種族に触れている[1]。"Allegheny"はフランス語で綴ったものであり(アレゲーニー川はかってヌーベルフランスに含まれていた)、"Allegany"は英語の綴りである(元イギリス植民地のメリーランド州アレゲーニー郡はこの綴りである)。 アレゲーニーという言葉は、アパラチア山脈と現在呼ばれているもの全体を指して使われるのが通常だった。モホーク族の酋長、ジョン・ノートンは1810年頃にテネシー州やジョージア州にある山脈を指してこの言葉を使った(ただし、綴りは様々である)[2]。同じ頃、ワシントン・アーヴィングはアメリカ合衆国に「アパラチア」か「アレゲーニー」のどちらかに改名する提案をした[1]。1861年、アーノルド・ヘンリー・ギーヨが山脈全体の体系的地質学的研究成果を初めて出版した[3]。その地図では山脈を「アレゲーニー」と表示していたが、本の表題は「アパラチア山系にて」だった。ジョン・ミューアはその著書「メキシコ湾までの千マイル徒歩旅行」(1867年著述)の中で、アパラチア山脈南部をアレゲーニーと呼んだ。16世紀のスペイン人探検家は、フロリダ州北部のインディアン種族名から「アパラチー」(Apalachee)という言葉を初めて使った。モービルの通商語を使う人々は、様々な形態で「アパラチアン」という言葉を用いた[4]。1735年のヘンリー・ポップルによる地図では山脈の南の方を"p"が1つの「アパラチアン」(Apalachian)と綴っている。バージニアやニューイングランドに到着したイギリス人の初期例では、「グレート・スモーキー山脈がその一部であるユーナカ山脈(Unaka Range)と出会うアレゲーニー山脈南部について、18世紀の言葉の派生語「アパラチアン」(Appalachian)を使ったものとして、ロンドンの公的記録局出版「アパラチ山脈(Mountaynes Apalatsi):ニューポート船長の発見」(1607年)に見ることができる[5][6]。 19世紀遅くまで「アパラチアン」と「アレゲーニー」について共通の合意事項は無かった。地質学者によって山脈全体を「アパラチアン」と呼ぶのが普通になり、最終的に全体の合意事項になった[1]。
名称