アレクサンドル・ドヴォルニコフ
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上級大将(英語版)
アレクサンドル・ドヴォルニコフ
ドヴォルニコフ(2021年)
原語名Александр Владимирович Дворников
生誕 (1961-08-22) 1961年8月22日(62歳)
ソビエト連邦
ウスリースク
所属組織 ソビエト連邦
 ロシア
部門 赤軍
 ロシア陸軍
軍歴1978年 - 現在
最終階級上級大将
指揮第19自動車化狙撃師団

第5諸兵科連合軍
中央軍管区(2021年11月9日 - 2012年12月24日; 臨時)
シリアにおけるロシア軍(英語版)
南部軍管区
戦闘ロシアによるシリア軍事介入
2022年ロシアのウクライナ侵攻
受賞ロシア連邦英雄

祖国貢献勲章(英語版)第4級
勇敢勲章(英語版)
ソ連軍祖国貢献勲章(英語版)第3級
軍事貢献勲章(英語版)
祖国貢献勲章メダル(英語版)第2級

アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ・ドヴォルニコフ(ロシア語: Алекса?ндр Влади?мирович Дво?рников, ラテン文字転写: Aleksandr Vladimirovich Dvornikov、1961年8月22日 - )は、ロシア軍人ロシア陸軍上級大将、ロシア連邦英雄。名前はドゥボルニコフやドボルニコフともカナ転写される。

2015年9月、ロシアによるシリア軍事介入の開始時に、シリア派兵ロシア軍の初代司令官となった。ドヴォルニコフはシリアにおけるロシアの軍事介入を指揮したことによってロシア連邦英雄の称号を授与され、2016年9月に南部軍管区の司令官に任命された[1]。ドヴォルニコフは、シリアにおけるロシア軍を指揮した際に民間人を標的としたことから「シリアの虐殺者」と呼ばれている[2]
若年期とソ連軍での軍歴

ドヴォルニコフは1961年8月22日にウスリースクで生まれた。1978年にウスリースク・スヴォーロフ軍事学校(英語版)を卒業し、ソ連地上軍に入隊した。さらに、モスクワ高等軍事指揮学校(英語版)で4年の教育を受け、1982年に卒業した[1]

1982年から、小隊長、中隊長、大隊先任参謀として極東軍管区で軍務に就いた。1991年、フルンゼ軍事大学(英語版)を卒業した。ドヴォルニコフは西部軍集団の副大隊長となった[1]
ロシア陸軍における軍歴

1992年から1994年、ドヴォルニコフは第6独立親衛自動車化狙撃旅団(英語版)の第154独立自動車化狙撃大隊を指揮した。1995年、第10戦車師団(英語版)の第248自動車化狙撃連隊の参謀長兼副連隊長となった。ドヴォルニコフは1996年に連隊長となった。1996年1月20日、軍事貢献勲章を授与された。1996年2月2日、勇敢勲章を授与された[1][3]

1997年、モスクワ軍管区に移り、第2親衛自動車化狙撃師団(英語版)の第1親衛自動車化狙撃連隊を指揮した。2000年から2003年、北カフカーズ軍管区において第19自動車化狙撃師団の参謀長、その後司令官を務めた[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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