アレクサンドル・ドゥーギンアレクサンドル・ドゥーギン(2020年2月14日撮影)
人物情報
生誕 (1962-01-07) 1962年1月7日(62歳)
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国・モスクワ[1]
国籍 ソビエト連邦(ソ連崩壊まで)
ロシア
出身校モスクワ航空研究所
ロシアの政治家アレクサンドル・ドゥーギンAleksandr Gelyevich Dugin
Алекса?ндр Ге?льевич Ду?гин
現職ユーラシア党党首
所属政党国家ボリシェヴィキ党
ユーラシア党
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アレクサンドル・ゲーリエヴィチ・ドゥーギン(ロシア語: Алекса?ндр Ге?льевич Ду?гин, ロシア語ラテン翻字: Aleksandr Gel'evich Dugin, 1962年1月7日 - )は、ロシアの政治活動家、地政学者、政治思想家、哲学者。
ソビエト連邦(現・ロシア連邦)モスクワ出身。2008年から2014年[2][3][4]までモスクワ大学で教授を務めた。クレムリンに影響力を持つ存在とされ、レフ・グミリョフに始まるネオ・ユーラシア主義の代表的な思想家の一人とされる。 1962年1月7日、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の中将の父親と、医師の母親の子として生まれた。1979年にモスクワ航空研究所(MAI)に入学したが、2年で除籍された。1970年代、作家ユーリ・マムレーエフのユジンスキーサークルを訪れて神秘主義思想やナチズムのオカルト論に傾倒し[5]、その後フランスの「新しい右翼」と接触している[6]。 1980年代は反体制活動家だったものの[7]、ソ連崩壊後のロシアに対してアレクサンドル・ソルジェニーツィンのように幻滅してヨシフ・スターリンの再評価とソ連の再興[8]を掲げる保守派となり[9]、1990年代に同じ元反体制活動家のエドゥアルド・リモノフとともに1920年代に白系ロシア人(ソ連から亡命したロシア人)の間で流行したユーラシア主義の復活を掲げる国家ボリシェヴィキ党(当初は国家ボリシェヴィキ戦線)を結成した[10]。
経歴