アレクサンドリアのカタリナ
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「アレクサンドリアの聖カタリナ」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「アレクサンドリアの聖カタリナ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

アレクサンドリアの聖カタリナ
アレクサンドリアの聖カタリナ』(カラヴァッジョ画。1598年頃)
他言語表記: ? ?γ?α Α?κατερ?νη ? Μεγαλομ?ρτυ?
: Sancta Catharina Alexandrina
: Saint Catherine of Alexandria
生誕287年
 エジプト アレクサンドリア
死没305年
 エジプト アレクサンドリア
崇敬する教派正教会東方諸教会カトリック教会アングリカン・コミュニオンルーテル教会
主要聖地聖カタリナ修道院エジプト
記念日11月25日(正教会では同24日
象徴壊れた車輪、、足下の王冠、霰、花嫁のヴェールと指輪、、本、異教の哲学者と論争する女性
守護対象キリスト教の弁証者、車輪作りの職人(陶工紡績業者を含む)、記録保管係、教育者、研ぎ職人、弁護士、少女、機械工、製粉業者看護師図書司書学者ベリオール・カレッジ (オックスフォード大学)パリ大学
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『アレクサンドリアのカタリナ』(カルロ・クリヴェッリ画) 『聖カタリナの神秘の結婚』(ジュゼッペ・リベラ画、1648年) カタリナは、聖母マリアの抱く幼児のキリストにキスをしている。背後にはアンナとヨセフ

聖カタリナまたはアレクサンドリアのカタリナ (ギリシア語: ? ?γ?α Α?κατερ?νη ? Μεγαλομ?ρτυ?, ラテン語: Sancta Catharina Alexandrina, 287年 - 305年)は、キリスト教聖人殉教者

正教会では聖大致命女エカテリナとして敬われ、ローマ・カトリックでは伝統的に『十四救難聖人』の一人とされている。ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人。祝日は11月25日(ロシアなどの正教会では11月24日)。

彼女の象徴として、壊れた車輪、剣、足下の王冠、霰、花嫁のヴェールと指輪、鳩、鞭、本、異教の哲学者と論争する女性、などが用いられる。キリスト教の弁証者、車輪作りの職人(陶工と紡績業者を含む)、記録保管係、教育者、研ぎ職人、弁護士、少女、機械工、製粉業者、看護師、図書司書、学者など多くの分野の守護聖人オックスフォード大学ベリオール・カレッジパリ大学の守護聖人。
生涯と伝説
生涯

聖カタリナの生涯は多くの種類の伝説で成り立っている。最も知られる話は以下のとおりである。カタリナはエジプトアレクサンドリア知事コンストゥスの娘だった。彼女は当時最高の教育を受けたと言われる。カタリナは両親に向かって、名声、富、容姿と知性で自分を超える男でなければ結婚しないと宣言した。カタリナの母は秘密裏にキリスト教に改宗しており、娘を隠者の元へ送り出した。その隠者はカタリナに「その方(キリスト)の美は太陽の輝きよりも勝り、知性は万物を治める。富は世界の隅々にまで広がっている」と説いたという。

幻視をした彼女は洗礼を受け、キリスト教徒となった。彼女は幻想の中で天国へ運ばれ、そこで聖母マリアによってキリストと婚約させられたという(神秘の結婚)。
殉教

皇帝を訪問して話したいというカタリナの物語は時のローマ皇帝マクセンティウスの元にも届き、彼女は皇帝にキリスト教徒を迫害するやり方は間違っていると説こうとした。伝説では、カタリナは皇后を改宗させることに成功し、彼女は皇帝が送り込んだ50人の異教の賢者たちを論破したため、彼らの多くはすぐに殺されてしまった。皇帝はカタリナに言い寄って失敗すると、彼女を牢へ入れるよう命じた。彼女が改宗させた人々がカタリナを訪問すると、彼女は車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問が命じられた。しかしカタリナが車輪に触れるとひとりでに壊れてしまったため、彼女は斬首刑にされた。

伝説は後にさらに推敲され、天使がカタリナの遺体をシナイ山に運んだという。そこには6世紀に東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によって建立された聖カタリナ修道院がある。修道院は548年から565年の間に建設された。修道院は今も残り、初期キリスト教芸術、建築、輝かしい手書き写本など有名な所蔵品を持つ。

彼女の第一の象徴となるのは釘打ちされた車輪である。このことから、『カタリナの車輪』として知られるようになり、多くのキリスト教会で11月25日のカタリナの祝祭日が祝われる。しかし、ロシア正教会では、女帝エカチェリーナ2世(ロシア語名のエカテリーナはラテン語名カタリナと同義)が、自分の守護聖人と正教の祝日『生神女進堂祭』を分け合うことを望まなかったことから、12月7日(グレゴリウス暦の日付。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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