アレクサンデル・ストゥブ
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アレクサンデル・ストゥブ
Alexander Stubb
ストゥブ(2018年撮影)

第13代 フィンランド共和国大統領
現職
就任
2024年3月1日
首相ペッテリ・オルポ
前任者サウリ・ニーニスト
第64代 フィンランド共和国首相
任期
2014年6月24日 ? 2015年5月29日
大統領サウリ・ニーニスト
代理官アンティ・リンネ
前任者ユルキ・カタイネン
後任者ユハ・シピラ
フィンランド財務大臣
任期
2015年5月29日 ? 2016年6月22日
首相ユハ・シピラ
前任者アンティ・リンネ
後任者ペッテリ・オルポ
国民連合党党首
任期
2014年6月14日 ? 2016年6月11日
前任者ユルキ・カタイネン
後任者ペッテリ・オルポ
フィンランド欧州・貿易担当大臣
任期
2011年6月22日 ? 2014年6月24日
首相ユルキ・カタイネン
前任者アストリッド・トールズ(英語版)
後任者レニタ・トイヴァッカ(英語版)
フィンランド外務大臣
任期
2008年4月4日 ? 2011年6月22日
首相マッティ・ヴァンハネン
マリ・キビニエミ
前任者イルッカ・カネルヴァ(英語版)
後任者エルッキ・トゥオミオヤ(英語版)
フィンランド議会議員
ウーシマー県選挙区)
任期
2011年4月20日 ? 2017年7月30日
欧州議会議員
フィンランド選挙区)
任期
2004年7月20日 ? 2008年4月3日

個人情報
生誕Cai-Goran Alexander Stubb
(1968-04-01) 1968年4月1日(56歳)
 フィンランドヘルシンキ
政党国民連合党
配偶者スザンヌ・イネス=ストゥブ(英語版) (m. 1998)
子供2
親族ヨーラン・ストゥブ(英語版)(父)
カイ・セタラ(英語版)(外祖父)
教育ファーマン大学(英語版) (BA)
パリ第4大学 (GrDip)
欧州大学 (MA)
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (PhD)
公式サイト ⇒Official website
兵役経験
所属国 フィンランド
所属組織フィンランド陸軍
最終階級伍長

カイ=ヨーラン・アレクサンデル・ストゥブ(Cai-Goran Alexander Stubb、1968年4月1日 - )は、フィンランドの政治家。同国大統領(第13代)。同国首相(第64代)を務めた。フィンランドきっての国際派政治家として知られる[1]
経歴左からラトビアのライムドータ・ストラウユマ首相、エストニアのアン・スリング貿易企業大臣、ノルウェーのエルナ・ソルベルグ首相、スウェーデンのステファン・ロベーン首相、デンマークのヘレ・トーニング=シュミット首相、ストゥブ(2014年10月27日)

フィンランドの首都ヘルシンキでバイリンガルの家庭に生まれ育った。アメリカの大学で政治学を専攻したあとはベルギーの大学院に移り、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでは国際関係学の博士号を取得[1]

2004年に国民連合党より欧州議会議員選挙に出馬して当選し政界入り。2007年のフィンランド議会選挙でユルキ・カタイネンが率いる国民連合党が躍進し、フィンランド社会民主党を抑え第2党となった。この結果、フィンランド中央党、国民連合党、緑の同盟スウェーデン人民党の連立内閣となり、中央党のマッティ・ヴァンハネンが首相に就任、ストゥブは2008年の4月に外務大臣となり、2011年4月まで務めた。

2011年4月の議会選挙では、国民連合党が初めて第1党となった[2][3]。長い政府形成交渉の末、6政党(国民連合党、フィンランド社会民主党、左翼同盟、緑の同盟、スウェーデン人民党、キリスト教民主党)の連立内閣となり、カタイネンを首相とする内閣が成立した[4]。それと共に、ストゥブは欧州・貿易担当大臣に横滑りした。

2014年6月24日、カタイネンが欧州連合(EU)のポスト(経済・通貨問題担当)に就くため、首相を辞任した。その結果、ストゥブが新たに国民連合党の党首となり、同日にサウリ・ニーニスト大統領から正式に首相に任命され、内閣を組織した[5]

しかし、2015年4月の議会選挙では、中央党に議会第1党の座を奪われ、国民連合党は第3党に転落した。これにより、中央党党首のユハ・シピラに首相職を譲り渡し、自らは財務大臣となった。財務大臣時代は構造改革を強力に推進する姿勢を示したが、国会で虚偽の答弁をした疑惑などから2016年の国民連合党党首選挙でペッテリ・オルポに敗北。財務大臣のポストもオルポに明け渡した[6]。2019年にはいったん政界を引退し、その後は欧州投資銀行の副総裁などを務めた[1]

2020年2月29日に放送された、TBS系列日立 世界・ふしぎ発見!にインタビュー出演した。

2022年2月に隣国ロシアがウクライナへ軍事侵攻を行ったことで政界復帰を決意。2023年8月に翌年の大統領選挙(英語版、フィンランド語版)に出馬を表明し、選挙戦では『国際的なフィンランド』を公約に掲げた[1]。2024年2月11日に執行された決選投票では51.6%の票を獲得し、対立候補のペッカ・ハーヴィスト(英語版、フィンランド語版)前外相を破り、第13代大統領に当選した[7]

2024年3月1日サウリ・ニーニストから職務交代を受けて、第13代大統領へ就任[8]


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