アレクサンダー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
[Wikipedia|▼Menu]

アレクサンダー
Alexander
ヘッセン=ダルムシュタット家


全名一覧参照

Alexander Ludwig Georg Friedrich Emil
アレクサンダー・ルートヴィヒ・ゲオルク・フリードリヒ・エミール

出生 (1823-06-15) 1823年6月15日
ヘッセン大公国ダルムシュタット
死去 (1888-12-15) 1888年12月15日(65歳没)
ドイツ帝国
ヘッセン大公国ユーゲンハイム
配偶者ユリア・ハウケ
子女一覧参照

マリー
ルートヴィヒ
アレクサンダー
ハインリヒ
フランツ・ヨーゼフ

父親ルートヴィヒ2世
母親ヴィルヘルミーネ・フォン・バーデン
テンプレートを表示

アレクサンダー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Alexander von Hessen-Darmstadt, 1823年6月15日 - 1888年12月15日)は、ドイツの軍人。バス勲章保持者。バッテンベルク家の祖。
生涯

ヘッセン大公ルートヴィヒ2世とその妃ヴィルヘルミーネの四男(第5子)として、ダルムシュタットで生まれた。全名はアレクサンダー・ルートヴィヒ・ゲオルク・フリードリヒ・エミール(Alexander Ludwig Georg Friedrich Emil)。大公の子供たちのうち、アレクサンダーとマリー(のちのロシア皇后マリア)の2人は、母ヴィルヘルミーネとその愛人アウグスト・ルートヴィヒ・フォン・スナルクラン・ド・グランシー男爵との不義の子供だった。

成長すると、アレクサンダーは大公家の男子のならいとして軍人になり、ロシア軍に所属して輝かしい戦歴を重ねた。彼はのち聖ゲオルギー十字勲章を皇帝から授けられた。妹マリーが皇太子妃であることは、彼にとって不利な条件ではなかったのは事実である。

このまま何事もなくいけば軍人としての出世は間違いなかったが、妹の女官ユリア・ハウケ伯爵夫人との恋が醜聞となったことから、それ以上の栄達はなくなった。ユリアは「伯爵夫人」の称号をもつドイツ系ポーランド人女性で、皇帝がポーランド立憲王国で任じた国防副大臣ヤン・マウリツィ・ハウケ伯爵の娘だった。当時、ニコライ1世は自分の姪をアレクサンダーと結婚させようと考えており、このロマンスを聞きつけると、2人の結婚を禁じてしまった。ヨーロッパの君主一家の一員が、一伯爵程度の下流貴族と結婚するなど考えられないことだった。

アレクサンダーは自分の将来を熟考しイギリスへ渡るが、ほどなくロシアへ戻り、サンクトペテルブルクからユリアと駆け落ちした。2人は1851年にプロイセンブレスラウで正式に結婚した。

2人はヘッセンへ戻ったが、アレクサンダーの長兄ルートヴィヒ3世大公はユリアの爵位の低さに不機嫌になった。ユリアは大公により「バッテンベルク伯爵夫人」(アレクサンダー夫婦が最初隠遁していた、ヘッセン北部の小さな町の名にちなむ)の称号を授けられたが、今後生まれる2人の子供たちには大公家の継承権は与えられないことになった。ユリアはのち「大公子の妃」のランクに高められ、夫妻はダルムシュタットに住むようになった。

継承権のない夫妻は、静かな生活をおくった。2人は主としてハイリゲンベルク城(ヘッセン南部、ユーゲンハイム近郊)に住んだ。

アレクサンダーは1888年に亡くなり、ユリア妃はその7年後にシューロス・ハイリゲンベルクで亡くなった。
バッテンベルク家

アレクサンダーとユリアの5人の子供たちは、母の爵位を姓とした。醜聞となった結婚にもかかわらず、バッテンベルク家の者はヨーロッパ貴族の中に受け入れられ、イギリス王室の一員にまでなった。アレクサンダーの次男アレクサンダーはブルガリア公となった。

マリー・カロリーネ(1852年 - 1923年) - エアバッハ=シェーンベルク伯(のち侯)グスタフ・エルンストと結婚

ルートヴィヒ・アレクサンダー(1854年 - 1921年) - 初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵

アレクサンダー・ヨーゼフ(1857年 - 1893年) - ブルガリア公。

ハインリヒ・モーリッツ(1858年 - 1896年) - イギリス王女ベアトリスと結婚

フランツ・ヨーゼフ(1861年 - 1924年) - モンテネグロ王女アナと結婚

20世紀に入ると、アレクサンダーの血を引く3人の子孫が、ヨーロッパの君主の配偶者となった。

ヴィクトリア・ユージェニー - スペインアルフォンソ13世妃。アレクサンダーの孫。

ルイーズ - スウェーデングスタフ6世アドルフ妃。アレクサンダーの孫。

エディンバラ公フィリップ - イギリス女王エリザベス2世王配。アレクサンダーの曾孫。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、アレクサンダー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットに関連するメディアおよびカテゴリがあります。

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

国立図書館

ドイツ

アメリカ

チェコ

オランダ

ポーランド

人物

ドイッチェ・ビオグラフィー

Trove(オーストラリア)

1



記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef