アレクサンダー・ウスティノフ
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アレクサンダー・ウスティノフ
本名アレクサンドル・ウスチノフ
生年月日 (1976-12-07) 1976年12月7日(45歳)
出身地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
ノヴォシビルスク州ノヴォシビルスク
原語名Александр Устинов
通称The Great
Russian Big Bear(ロシアン・ビッグベアー)
居住 ベラルーシミンスク
国籍 ロシア
身長202 cm (6 ft 8 in)
階級ヘビー級
現役期間2001?2007 (キックボクシング)
2004?2007 (総合格闘技)
2005? (ボクシング)

総合格闘技記録
試合数3
勝利1
判定1
敗戦2
判定2


キックボクシング記録
試合数64
勝利53
ノックアウト31
敗戦9
引き分け1
無効試合1


プロボクシング記録
試合数42
勝利36
ノックアウト27
敗戦5
ノックアウト4
引き分け1

その他
総合格闘技記録 - SHERDOG
ボクシング記録 - BoxRec

アレクサンダー・ウスティノフ(ロシア語: Александр Устинов、Alexander Ustinov、1976年12月7日 - )は、ロシアプロボクサー、元キックボクサー総合格闘家ノヴォシビルスク州ノヴォシビルスク出身。元チヌックジム所属、現在はK2プロモーション所属。アレクサンドル・ウスティノフとも表記される。目次

1 概要

2 来歴

2.1 キックボクシング時代

2.2 ボクシング時代


3 人物・エピソード

4 戦績

4.1 プロボクシング

4.2 プロキックボクシング

4.3 総合格闘技


5 獲得タイトル

5.1 ボクシング

5.2 キックボクシング

5.3 ムエタイ


6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

概要

「Russian Big Bear(ロシアン・ビッグ・ベアー)」の異名通りの2m近い巨体と、フィジカルを活かしたファイトスタイルで、キックボクシングムエタイのマイナータイトルを獲得した。

2008年からビタリ・クリチコウラジミール・クリチコらが所属するK2プロモーションと契約し本格的にボクシングへ転向。2017年11月25日にマヌエル・チャーとWBA世界ヘビー級王座決定戦を行った。
来歴
キックボクシング時代

2002年5月4日、K-1 UKRAINE GRAND PRIX 2002で行われた地区予選に出場、1回戦でジャロスラフ・ザボロトニーに判定勝ちするも、準決勝でアンドレイ・キルサノフに判定負けを喫した。

2003年5月28日、K-1 MOSCOW GRAND PRIX 2003で行われた地区予選に出場、決勝まで勝ち進みアンドレイ・キルサノフにKO勝ち。

2003年6月14日、K-1 WORLD GP 2003 in PARISで行われたヨーロッパ・ロシア地域予選に出場、1回戦でグレゴリー・トニーにKO勝ちするも、準決勝でアレクセイ・イグナショフに判定負けを喫した。

2003年12月20日、K-1 SPAIN 2003で行われた地区予選に出場、決勝まで勝ち進みピーター・マエストロビッチに判定勝ち。

2004年5月29日、Mugendo World Grand Prixに出場。1回戦でモハメッド・フォウチにKO勝ちするも、準決勝でロイド・ヴァン・ダムに判定負けを喫した。

2004年8月7日、K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGASで行われた世界最終予選に出場し、1回戦でヤン・ノルキヤに判定勝ちするも、左スネを負傷して準決勝を棄権した[1]

2005年4月16日、K-1 Italy 2005 Oktagonで行われた地区予選に出場し、1回戦でビヨン・ブレギーにTKO勝ち、準決勝でグレゴリー・トニーに判定勝ち、決勝でフレディ・ケマイヨに判定勝ち。

2005年4月20日、Arbat Fight Clubでエドゥアルド・ボズノビッチに判定負け。

2006年1月20日、K-1 France Grand Prix 2006 in Marseillesで行われた地区予選に出場し、1回戦でアレクサンダー・ノボビッチに判定勝ち、準決勝でクリストファー・キャロンにTKO勝ち、決勝でブリース・ギドンにKO勝ちを収めた。

2006年2月17日、K-1 SLOVAKIA GRAND PRIX 2006でビヨン・ブレギーと対戦し、ブレギーの金的により無効試合となった。

2007年11月30日、Battle of Championsでジャビット・バイラミと対戦し、判定勝ち。この試合がキックボクシングで最後の試合となった。
ボクシング時代

2005年5月13日、29歳の時にベラルーシでボクシングデビューを果たし、2回TKO勝利を収める。

デビューから27連勝を収める。

2012年9月29日、ドイツクブラト・プレフの持つEBU欧州ヘビー級王座並びにIBFインターナショナルヘビー級王座を懸け対戦し、ボクシング初黒星となる11回KO負けを喫しEBU王座の獲得、IBFインターナショナル王座の獲得に失敗した。

2013年11月16日、ニュージーランドデビッド・トゥアと対戦、12回3-0の大差判定勝ちを収める。トゥアは試合後に引退を発表した。

2014年7月26日、タイソン・フューリーデレック・チゾラが決定し、チゾラのスパーリングパートナーとして招聘されていたが、試合8日前のスパーリング中にチゾラが左拳を骨折してしまい、代わりにウスティノフが緊急出場する事が試合4日前に決定した[2]


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