アレイスター・クロウリー
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アレイスター・クロウリー
Aleister Crowley
O.T.Oグランドマスター在任時(1919年)
誕生Edward Alexander Crowley
(1875-10-12) 1875年10月12日
イギリス、ウォリックシャーレミントン・スパー
死没 (1947-12-01) 1947年12月1日(72歳没)
イギリス、イーストサセックスヘイスティングス
職業オカルティスト、詩人、著述家、登山家
国籍 イギリス
最終学歴ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ中退
代表作『法の書
トート・タロット
配偶者ローズ・イーディス・ケリー、マリア・テレサ・ド・ミラマール
影響を受けたもの

エリファス・レヴィH・P・ブラヴァツキーマグレガー・メイザース、アラン・ベネット(英語版)

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アレイスター・クロウリー(アリステア・クローリイ[1]、Aleister Crowley、1875年10月12日 - 1947年12月1日)は、イギリスオカルティスト、詩人、著述家、登山家[2]。魔術教団 O.T.O.(東方テンプル騎士団)等のオカルティズム団体の指導者[3]。著作の大半は、彼が呼ぶところの「Magick」(魔術)に関するもので、西洋魔術、西洋近代のオカルティズムから出発し、性魔術を通じてインドのタントラに接近していったとみなされている[4]。哲学、文化、政治についても執筆し、社会批評にも熱心だった[5]。妻ローズ・イーディス・ケリーを通じて啓示を得たとし、自身をモーセムハンマドと肩を並べる預言者だと考え、自らが創設したセレマ宗教運動を推進した[6][5]。一時所属した黄金の夜明け団の知識や儀式を無許可で一般に公開してオカルト業界を騒がせた[7]

悪魔を意味する「獣」「666」を名乗り、「偉大なる野獣」「現存する最も邪悪な男」として世に知られることを望み、派手な演出でマスコミに登場し、生涯そのイメージを演じ続けた[8][9]バイセクシュアルであることを公にしており、波乱に満ちた人生、退廃的な生き方、繰り返される薬物の使用、性魔術、時には動物の生贄を伴う秘教的な儀式・精神修行の実践等により、世間で物議をかもした[2][10][5][9][3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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