アル=ヌスラ戦線
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アル=ヌスラ戦線(アル・ヌスラせんせん、アラビア語: ???? ?????? ???? ?????‎)は、シリアで活動するサラフィー・ジハード主義反政府武装組織。2017年1月28日以降は4つの反政府武装勢力を吸収したタハリール・アル=シャームと名称を変えて活動している。
概要

シリア[1][2][3]レバノン[4][5]におけるアルカーイダの関連組織であり、時に「シリアのアルカイダ」、「レバントのアルカイダ」と呼ばれることもある[6]シリア内戦における一連の軍事行動において反政府側に立つスンニ派ジハード主義組織。正式名称は「アッ=シャームの民のアン=ヌスラ戦線」などと訳される[7]日本メディアでは、「ヌスラ戦線」と表記されることが多い。戦線は結成を2012年1月23日、シリア内戦の最中としている[8]

2012年、ワシントン・ポストはヌスラ戦線をもっとも成功した自由シリア軍の同盟組織と評価した[9]。その10日後、アメリカはヌスラ戦線をテロ組織と認定している。加えて国連安保理[10][11]フランス[12]オーストラリア[13]イギリス[14][15]カナダ[16]サウジアラビア[17]ニュージーランド[18]アラブ首長国連邦[19]ロシア[20]トルコ[11][21]も戦線をテロ組織と認定している。

2013年4月、イラクとシャームのイスラーム国の指導者アブー・バクル・バグダーディーは、ヌスラ戦線をISILシリア支部であると発表[22][23]。対してヌスラ戦線のリーダー、アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニー(Abu Mohammad al-Jawlani)はいかなる合併も行われていないとしてそれを否定、組織はアルカイダのリーダー、アイマン・ザワーヒリーに忠誠を誓っていると断言した[24]。しかしながら2013年5月、ヌスラ戦線からISILに同調する一派がISILを名乗り活動を始めた[25][26][27][訳注 1]

現在、ヌスラ戦線は他のイスラム主義組織やジハード主義組織、時には自由シリア軍系の組織と協力してシリア政府軍と戦っている。

2016年7月28日、指導者のアブー・モハメド・アル=ジュラーニは、アルカイダからの離脱と、新しい組織名を「レバント征服戦線(英語版)」(英語: Jabhat Fateh al-Sham、アラビア語: ???? ??? ?????‎)とすることを発表した[28]
主義思想

ヌスラ戦線は主にシリアのスンニ派イスラム教徒で構成されている[29][30]アサド政権の転覆を目的とし、シャリーアに基づくパン=イスラーム主義(英語版)国家の成立[31][32]イスラム帝国の復権を目指している。戦線は早い段階から包括的な意味でのジハードよりも、近い目標としてシリア政府の転覆に主眼を置いてきた[33]。シリア国内のメンバーは、戦線はアサド政権と戦っているのであり、欧米諸国に攻撃を仕掛けるべきではないと主張している[34]。一方で戦線の掲げる方針にはアメリカとイスラエルはイスラムの敵であるという文言を保持しており[35]、さらには欧米諸国のシリアへの介入に警告を与えている[34]。ヌスラ戦線の指導者ジャウラーニーは「我々は政府とその手先達、すなわちヒズボラやその他の組織を屈服させるためにここにいる」と語っている[36]

2014年、戦線のシャリーア事務官、ダル・サーミ・アル・オライディ(Dr Sami Al Oraidi)は戦線がアブー・ムサブ・アル=スリ(Abu Musab al-Suri)の影響を受けていることを明らかにした。戦線の基本戦略はアブー・ムサブの示した地元のムスリムコミュニティの心をつかむための4つの指針に由来している。すなわち、人々にサービスを提供すること、過激派と認識されることを避けること、コミュニティや他の反乱組織との強固な関係を維持すること、政権との戦闘だけに集中すること、の4つである[37]
歴史
前史

シンクタンクのキリアム(Quilliam)は、戦線のメンバーの大半はイラクにおいて米軍との戦闘を繰り広げていた(英語版)アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーイスラム主義ネットワークに参加していたシリア人だと報告している。多くのシリア人は米軍の撤退後もイラクにとどまったが2011年シリア内戦が起こるとISI(現ISIL)はシリア人ムジャヒディーン、そしてイラク人のゲリラ戦エキスパートをシリアに送り込んだ。2011年10月、2012年1月と複数回にわたる会合がリーフ・ディマシュクホムスにて行われ、グループの目標が定められた[38]
結成

2012年1月24日にアル=ヌスラ戦線として最初の声明が発表され、その中でシリア政府への徹底抗戦が呼びかけられた。のちに2月のアレッポの爆弾事件(英語版)、1月のアルミダンの爆弾事件(英語版)、3月のダマスカスの爆弾事件(英語版)[8] 、ジャーナリスト、ムハンマド・アル=サイード(Mohammed al-Saeed)の殺人[39]についてそれぞれ犯行声明をだした。

イラクの外相ホシャル・ジバリ(Hoshyar Zebari)はISILメンバーがヌスラ戦線に参加するためにかつて彼らが武器や支援を受けたシリアへと向かったと語っている[40]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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