アル・ライター
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アル・ライター
Al Leiter
アル・ライター(2009年のワールドシリーズにおいて)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ニュージャージー州トムズリバー
生年月日 (1965-10-23) 1965年10月23日(58歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1984年 MLBドラフト2巡目
初出場1987年9月15日
最終出場2005年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ニューヨーク・ヤンキース (1987 - 1989)

トロント・ブルージェイズ (1989 - 1995)

フロリダ・マーリンズ (1996 - 1997)

ニューヨーク・メッツ (1998 - 2004)

フロリダ・マーリンズ (2005)

ニューヨーク・ヤンキース (2005)

国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
WBC2006年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

アロイス・テリー・ライター(Alois Terry Leiter, 1965年10月23日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州トムズリバー出身の元プロ野球選手投手)。
経歴
ニューヨーク・ヤンキース

1984年のMLBドラフトニューヨーク・ヤンキースから2巡目に指名を受け入団。1987年9月15日ミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビューし、6回1失点で初登板初勝利を挙げた。1988年は開幕から先発ローテーション入りし3連勝を記録するが、途中マイナーに降格し、4勝4敗・防御率3.92の成績だった。1989年も開幕から先発入りするが、1勝2敗・防御率6.08と振るわず、4月30日ジェシー・バーフィールドとの交換トレードでトロント・ブルージェイズに移籍。
トロント・ブルージェイズ

移籍後は1試合の先発登板のみで、その後1992年まで計9試合の登板に留まる。1993年にメジャーに定着し、6月17日ボストン・レッドソックス戦で、被安打2でメジャー初完投・初完封[1]。9勝6敗・防御率4.11を記録し、チームの地区連覇に貢献。シカゴ・ホワイトソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に登板し、チームはリーグ連覇を果たす。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは第1戦で6回から登板し、ピンチを招くものの2.2イニングを無失点に抑え勝利投手。第4戦では3回からリリーフするが6失点と打ち込まれる。チームは第6戦でジョー・カーターの逆転サヨナラ3点本塁打でシリーズ連覇を果たした。1994年からは先発専任となるが、1994年から1995年のMLBストライキの影響もあり6勝に留まる。1995年はリーグワーストの108四球・14暴投ながら11勝11敗・防御率3.64を記録。オフにフリーエージェントとなり、12月14日フロリダ・マーリンズと契約。
フロリダ・マーリンズ

1996年5月11日コロラド・ロッキーズ戦で、球団史上初のノーヒットノーランを達成。オールスターゲームにも初めて選出された。2年連続リーグワーストとなる119四球を与えたが、16勝12敗・防御率2.93・200奪三振の好成績をマークし、サイ・ヤング賞の投票で9位に入った。1997年は開幕から調子が上がらず、11勝9敗・防御率4.34に留まるが、チームはワイルドカードを獲得する。ディビジョンシリーズリーグチャンピオンシップシリーズを勝ち上がって史上初めてワイルドカードからリーグ優勝を果たす。クリービランド・インディアンズとのワールドシリーズでは2試合に先発して勝ちは付かなかったが、チームは4勝3敗で当時史上最速となる球団創設5年目での世界一に輝いた。
ニューヨーク・メッツニューヨーク・メッツ時代
(2004年6月26日)

1998年2月6日A.J.バーネット他2選手との交換トレードで、1選手と共にニューヨーク・メッツへ移籍。同年は17勝6敗・防御率2.47を記録し、サイ・ヤング賞の投票で6位。1999年は開幕から不調で5月まで2勝5敗・防御率6.39だったが、6月に5連勝を記録するなど徐々に復調し、8月1日シカゴ・カブス戦ではキャリアハイの15奪三振を記録[2]。チームはワイルドカード争いでシンシナティ・レッズと同率で並び、10月4日のワイルドカード決定戦で先発し被安打2の完封勝利を挙げた。アトランタ・ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、7回1失点(自責点0)の好投を見せるが、味方の援護がなく敗戦投手[3]。第6戦では初回に5失点で1死も取れずに降板[4]。チームは延長の末サヨナラ負けを喫し、2勝4敗で敗退した。2000年は4年ぶりにオールスターゲームに選出されたが敗戦投手となった。16勝8敗・防御率3.20・200奪三振を記録し、2年連続のワイルドカード獲得に貢献。ディビジョンシリーズリーグチャンピオンシップシリーズでも勝利こそ付かなかったが好投し、14年ぶりのリーグ優勝を果たす。古巣ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦と第5戦に先発し好投したが、1勝4敗で敗退し世界一はならなかった。2002年4月30日アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で勝利投手となり、メジャー全30球団から勝ち星を挙げた最初の投手となった。その後2004年まで毎年二桁勝利を挙げるものの、チームは低迷。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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