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アル・ピトレリ
Al Pitrelli
サヴァタージ - ドイツ・ヴァッケン公演(2015年7月)
基本情報
生誕 (1962-09-26) 1962年9月26日(61歳)[1]
出身地 アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク
学歴バークリー音楽大学(中退)
ジャンルハードロック
ヘヴィメタル
プログレッシブ・ロック
ポピュラー音楽
職業ミュージシャン、ギタリスト、ソングライター
共同作業者マイケル・ボルトン、アリス・クーパー、エイジア、サヴァタージ、メガデス、ほか
公式サイトAl Pitrelli (alpitrelli) - Facebook
著名使用楽器
アンペグ・ダン アームストロング
ギブソン・エクスプローラー
ギブソン・SG
フェンダー・ストラトキャスター
アル・ピトレリ(Al Pitrelli、1962年9月26日 - )は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、ギタリスト。
主にHR/HMの分野で活躍し、著名なバンドでは「エイジア」「サヴァタージ」「メガデス」などに在籍。スタジオミュージシャンとしての側面もあり、様々なプロジェクトで活動した実績をもつ。 ニューヨーク市出身[1]。バークリー音楽大学中退後、セッションミュージシャンとして音楽活動を開始し、マンハッタンでギターのレッスンの講師として働きながら生計を立てていた。その後、マイケル・ボルトンのサポートを務めたのを機に、様々なアーティストのサポートを中心に本格的に音楽活動を開始する。1989年から1991年までアリス・クーパーのバックバンドに在籍。1992年より「エイジア」に加入し、正式メンバーとして1994年まで在籍し、『Aqua』の収録にも参加した。元トゥイステッド・シスターのヴォーカリスト、ディー・スナイダーのバンド、ウィドウメーカーでも並行して活動。 その後、交通事故で死去したクリス・オリヴァ
略歴
2000年、デイヴ・ムステインの誘いを受けて、脱退したマーティ・フリードマンの後釜として「メガデス」に加入し[2]、サヴァタージを脱退する。その後、同バンドのアルバム『ワールド・ニーズ・ア・ヒーロー』のレコーディングにも参加したが、デイヴの肘の故障によりバンドが活動停止に追い込まれた。
その後は、「ジョー・リン・ターナー」「セバスチャン・バック」「TSO」など、HR/HMのみならずポップ・ミュージック、フュージョン、アダルト・コンテンポラリーなど、あらゆるジャンルの様々なアーティストやバンドのサポート活動をしている。
2014年、本格的に活動を再開することになった「サヴァタージ」に復帰した。 ギター楽器はこれまで、「ギブソン・エクスプローラー」「ギブソン・SG」「フェンダー・ストラトキャスター」「ギブソン・EDS-1275」などのカスタムモデルを使用。近年は、希少だったアンペグ製「ダン・アームストロング」のリイシュー・モデルを扱っている。
使用機材
アンペグ製「ダン・アームストロング」2015年
ディスコグラフィ
ソロ / プロジェクト
コーヴェン/ピトレリ/オライリー(CPR)
Sammy Says Ouch! (1990)
CPR (1992)
プレイス・コールド・レイジ
Place Called Rage (1995年)
O'2L
O'2L (2001)
Doyle's Brunch (2005)
Eat A Pickle (2007)
参加作品
デンジャー・デンジャー
Rare Cuts (2003年) - 1987・88年録音部分
ランディー・コーヴェン
Funk Me Tender (1989)
ダニー・オズモンド
Eyes Don't Lie(1990)- 同アルバムの収録曲、Just Between You And Meに参加
アリス・クーパー
『クラシックス』Classicks (1995年) - 1989年ライブ音源部分
ウィドウ・メーカー
Blood and Bullets (1992)
Stand by for Pain (1994)
エイジア
『アクア』Aqua (1992年)
『天空のアリア』Aria (1994年)
トニー・ハーネル and モーニングウッド
Morning Wood (1994)
サヴァタージ
『デッド・ウィンター・デッド』Dead Winter Dead (1995年)