アル・シャバブ_(ソマリア)
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この項目では、ソマリアのイスラム勢力について説明しています。その他の用法については「アル・シャバブ」をご覧ください。

ソマリア内戦
アル・シャバブ
??????

戦闘旗


幹部アブ・マンスール
ムクター・アブディラマン
アリ "デーレ" モハンマド
アデン・ハシ・ファラ(2008年1月に死亡)
活動期間:2007年1月19日?現在
本拠地:モガディシュ(明確ではない)
活動範囲:ソマリア南部、首都モガディシュの一部
前組織:イスラム法廷会議 (ICU)

関連組織: アルカーイダ
エリトリア (伝聞情報)
対立組織: ソマリア
エチオピア
アフリカ連合ソマリア対策部(AMISOM)
アメリカ合衆国
 ノルウェー
オーストラリア
カナダ
フランス
イタリア
イギリス

アル・シャバブ(アラビア語: ??????‎, Al-Shabaab, Ash-Shabaabu)は、ソマリア南部を中心に活動するイスラーム勢力。2012年現在、ソマリアで最も有力なイスラーム勢力であり、ソマリア南部で最も支配地域が広い勢力でもある。ソマリア暫定連邦政府とそれを支援するエチオピアアメリカ合衆国アフリカ連合などと対立している。ソマリア南部の都市キスマヨを支配するヒズブル・イスラムアルカーイダエリトリアなどと交流があるとされる。一部日本語メディアでは、「アッシャバーブ」と表記されている[1]

「シャバーブ」は「若さ/青年」を意味する語で、ヒズブ(党)を付けてヒズブル・シャバーブ(Hizbul Shabaab)と名乗ったり[2]、「2つの移民団の土地の民衆抵抗運動」(Popular Resistance Movement in the Land of the Two Migrations, PRM)と名乗ることもある[3]
組織の概要

アル・シャバブは元はイスラム法廷会議(ICU)の若手強硬派の集まりで、アメリカなどではICUの過激派が分裂したものとみなされている。しかし、ICUとアル・シャバブの関係はそれほど明確なものではない。アル・シャバブはICUがまだ健在の2004年の半ばに結成され[4]、「イスラーム教の敵」と戦う戦士が集まってできたものとされる。現在ではアメリカ合衆国国務省から国務省認定外国テロ集団 (en) に指定されている[5]。ノルウェー警察治安部隊 (en) や[6]スウェーデン治安局 (en) からも[7]テロ集団とされている。

イスラーム教に基づく法体系シャリーアを第一の行動原則としている。例えば罪に対する罰が厳格であり、2008年10月には姦通を行ったとして13歳の少女が石打刑で処刑されたと伝えられている[8]。(この少女は3人の男にレイプされた被害者であるとする報道もある[9]。)また、2009年6月22日には、携帯電話を盗んだ罰として、若者4人の手足を片側ずつ切り落とすとする判決が出されたと報じられている[10]。また、海賊行為にも批判的であり、2008年11月にハラデレ沖で起きた大型タンカーに対する身代金要求事件に関して、死刑に相当する罪だとの声明を発表している[11]。ただしソマリア暫定連邦政府は、アル・シャバブは海賊から武器や身代金の分け前を要求していると伝えている[12]

また、ソマリア国外のソマリ族居住地域を含めた統一運動を呼びかけている[13]。ただしイスラーム信仰で団結している組織とも言えず、ソマリ族の複雑な部族間関係の影響もあると言われている。2009年1月にソマリア中南部からエチオピア軍が撤退したことにより、その支配地域を一気に広げたが、これにより闘争目標が失われて分裂する可能性も指摘されている[14]

アル・シャバブのメンバー、とりわけ幹部には非ソマリア出身の外国人が入っていると言われており[15]ペルシャ湾岸諸国から来た者が多いと見られる。かつてのソマリア人によるイスラム勢力の活動と異なり、アル・シャバブは自爆攻撃を多用しており、これが外国からのメンバーの影響によるものとされている[16] [17]。国連の2006年の報告書によると、イスラーム過激派の主な支援者は、イランリビアエジプト、ペルシャ湾岸地域出身と見られている。特にエジプトはナイル川の扱いについて上流のエチオピアと対立関係にあり、ソマリア暫定連邦政府を支援するエチオピアの弱体化を狙っているものとみられる[18][19]。報道でも、アル・シャバブの中心メンバーがエジプトおよびアラブ出身のジハード戦士であるとされることが多く、彼らがソマリ族に最新兵器と自爆攻撃の訓練をしていると伝えている[20]

ソマリア国外のソマリア人でアル・シャバブを支援する人も多い。その理由として、ソマリア南部をイスラム法廷会議が支配していた時期には治安が安定しておりそれに共鳴するというものだったり、単にアル・シャバブの実態を知らなかったりといったことが挙げられている[21]
活動の歴史
無名時代

アル・シャバブの幹部は、2006年初頭にモガディシュで軍閥(ARPCT)と戦った経験を持つ[22]。その成り立ちはよく分かっていないが、古くからのメンバーは「ヒズブル・シャバブ」として2004年初頭に結成された組織だと語っている。アル・シャバブの指導者アブ・マンスール (en) によると、アル・シャバブには外国からの参加者も多いという[23]イスラーム法廷会議の暫定連邦政府・エチオピア連合軍に対する敗北がほぼ確定する2006年末までに、アル・シャバブの戦力は推定3千から7千の間で変化した。6週間の基礎訓練コースを終了すると兵士として認められた。一部の者はさらにエリトリアに留学してゲリラ戦術と爆発物取扱について訓練を受けた[24]。一部でアル・シャバブの資金源の一つはソマリア海賊であると主張されたが[25]国際海事機関東アフリカ支部はこれを否定している[26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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