アルレム・デジール
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フランス政治家アルレム・デジールHarlem Desir
2012年5月
生年月日 (1959-11-25) 1959年11月25日(59歳)
出生地パリ
出身校パリ第1大学パンテオン=ソルボンヌ
現職OSCEメディアの自由に関するOSCE代表
所属政党社会党
ヨーロッパ問題担当大臣
在任期間2014年4月9日 - 2017年5月10日
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アルレム・デジール (Harlem, Jean-Philippe Desir, 1959年11月25日 - )は、フランスの政治家。1980年代、フランスの反人種差別NGO組織SOS人種差別(fr)の活動家および代表として初めて名が知られた。続く10年間は自身の国政選挙計画に専念し、最初は環境世代、その後社会党に入党した。デジールは1999年以降欧州議会議員を務め、2004年と2009年に再選された。2011年フランス社会党の大統領候補予備選挙キャンペーンの間、デジールは党第一書記代行を務め、2012年10月に第一書記に選出された。2014年4月9日より、マニュエル・ヴァルス内閣のヨーロッパ問題担当大臣就任に伴い社会党第一書記を辞任。
目次

1 経歴

2 政歴

3 公職

4 有罪判決

5 著作

6 脚注

経歴

学校の校長を務めるマルティニーク出身のジャン=マリー・デジール、 そして共産主義に同調し同時に反植民地主義者であるヴォージュ県出身のニコル・デュメリーとの間に生まれた[1]。母ニコルは保育園に勤務する、労働者総同盟(fr)のサンディカリストであった[2] · [3] · [4]。デジールはパリ第1大学パンテオン=ソルボンヌで学び、1983年に哲学の学士号をとっている。

1980年代初頭、デジールは全フランス学生同盟独立と民主主義(Fr、Unef-ID。2001年に全フランス学生同盟となる)の学生自治会に参加した。同じくUnef-IDに参加していたジュリアン・ドレーと近く、彼は1984年にSOS人種差別の代表となり、1992年まで務めた。彼の強烈なメディア露出が、当時彼が関わっていた運動のパーソナリティをつくった。SOS人種差別のスポンサーであったピエール・ベルジェ(fr、実業家)は、「デジールはまさに人間の良心だね。彼はまた、フランスの現在の名誉だよ。」と称した[5]。デジールが代表を務める間、SOS人種差別は頻繁にメディアに登場し、定期的なイベント(コンサートなど)を開催し、「共感の価値」に基づく演説を行っていた[6][7]。当初は文化の多様性の促進に焦点を当て、アルレム・デジールのスピーチは長い時間をかけて、人権からさらに伝統的な共和主義へと進化した。

1987年、デジールはテレビの政治番組『ルール・ド・ヴェリテ』(fr)のゲストとなった。彼はそこで評価を得て、彼のパフォーマンスは政治的コミュニケーションの観点から『厚紙のカード』のようだとみなされた[8]。アルレム・デジールの評判は当時、『青少年のスポークスマン』といくつかのメディアで言われるほどだった[9]。1990年、彼はSOS人種差別は湾岸戦争に反対すると表明した。彼は経験に基づいて湾岸戦争が間違いであると考えていた[10]

2度目の妻であるジャーナリスト、アンナ・アニェリとの間に2人の子供がいる[11]
政歴

1992年にSOS人種差別を辞し、短命に終わったル・ムヴマン(fr、その後ムヴマン・アクション・エガリテMouvement action egaliteと改名)という政党をつくったが、数ヵ月後にデジールは環境世代に入党した。彼は1993年フランス議会総選挙において、イヴリーヌ県第11選挙区の環境世代候補者となった。彼は第1回投票で投票数中6.84%を獲得したが、彼は2位であった社会党候補者への投票呼びかけを拒否した。

半年後の1993年12月、デジールは社会党に入党し、1994年には官庁に就職した。彼はその時から現在まで社会党左派のメンバーである。彼は1989年から1994年、1997年から1999年まで、経済社会環境評議会(Fr)のメンバーに任命されていた。

彼は1997年に再びオルネー=スー=ボワ選挙区から議会総選挙に出馬したが落選した。2年後、彼は欧州議会議員選挙に当選した。2004年欧州議会議員選挙では、デジールはイル=ド=フランス地域圏における社会党候補者リストの先頭に載った。彼はこの選挙で投票数の25.03%を獲得、欧州社会党会派の副党首となった。

欧州議会議員として在職中、デジールはグローバリゼーション問題を専門としている。彼は毎年世界社会フォーラムに出席し、元々トービン税導入賛成の改憲論者である(欧州議会内の「資本の課税」グループ内の長として)。

2008年にランスで開催されたフランス社会党大会では、デジールはベルトラン・ドラノエ候補の支持にまわった。マルティーヌ・オブリーが党第一書記に選出されると、事実上党内序列2位とみなされる全国書記職についた。


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