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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(アルメニア文字)が含まれています(詳細)。
アルメニア語
??????? / ??????? / Hayeren
話される国 アルメニアとその周辺
地域カフカス
話者数700万人
言語系統インド・ヨーロッパ語族
アルメニア語
表記体系アルメニア文字
公的地位
公用語 アルメニア
アルツァフ
統制機関 アルメニア共和国国立科学アカデミー
言語コード
ISO 639-1hy
ISO 639-2arm (B)
hye (T)
ISO 639-3hye
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アルメニア語(アルメニアご、??????? / ???????、ラテン文字化:Hayeren)は、カフカス(コーカサス)地方の一国アルメニアの公用語。言語学的にはインド・ヨーロッパ語族に分類され、この言語だけで独立した一語派を形成している。表記には独自のアルメニア文字が用いられる。 序文で述べたように、アルメニア語は英語(ゲルマン語派に属する)やロシア語(スラブ語派)などのほかの印欧語と違って、単独で「インド・ヨーロッパ語族アルメニア語(派)」という独立した地位を与えられている。 フランスの言語学者アントワーヌ・メイエの指摘したように、アルメニア語はギリシャ語と語源的に並行した類似性を多く保持している。歴史の流れの中で、この言語はたくさんの語彙をペルシャ語(イラン)、次いでギリシャ語(6世紀)、トルコ語(11世紀)、フランス語(十字軍の時代から現代まで)、ラテン語(16世紀から18世紀)、そしてロシア語(現代)から借用してきた。 特にインド・イラン語派イラン語群の1つであるペルシャ語からの借用語が多く、そのため19世紀末頃までアルメニア語も同じくイラン語群に属するものと考えられていた。しかし、ドイツの言語学者ヒュップシュマン(Heinrich Hubschmann)による借用語の分離研究がおこなわれた結果、インド・イラン語派に属さない単独の語派であると考えられるようになった。 現在では言語的相違の観点から、歴史的に以下の3つに分けられている。 東西方言の違いとして主に次のことがいえる: この二方言の中にそれぞれ、細かく分類できる多くの方言をもつ。また、東西方言のどちらにも属さない方言も存在する。 アルメニア人は多くが多くの国々に離散しているため、アルメニア語話者の総数ははっきりとつかめていない。一説には合計約700万人の話者がおり、その内およそ300万人以上がアルメニア国内とされている。また、アルメニア共和国内も含めてアルメニア人は多言語話者であることが多いといわれる。 アルメニア共和国で公用語に指定されており、その約300万人の国民のほとんどが東方言話者である。ただし彼らの中には英語やロシア語・フランス語など何らかの外国語も話せる人が多いといわれている。 隣国では、東のアゼルバイジャン内のアルメニア人地域ナゴルノ・カラバフで公用語に指定されている。そのほか、ソ連時代に同じ国に所属していたロシアなどにも多くの話者がおり、またトルコ東部やジョージア、イランなどに居住するアルメニア人の間でも使用されている。 西方言は、もともとキリキア地方やその東部(現在のトルコ南部のアダナあたり?南東部のウルファのある地域)で話されていたが、歴史的事情により話者は多くの国々に移住しており、その人々により使用され続けている。主にアメリカ合衆国やフランスなどの欧米諸国に多くの話者がおり、ついでトルコのイスタンブールや南部・南東部、シリアやレバノンにいる。これらの国のアルメニア人コミュニティーの中で使われ続けている。またトルコからのアルメニア国内への移民の中で使っている者もいる。 中世キリキア・アルメニア王国の衰退時よりムスリム(イスラム教信者)の諸民族からの迫害を受け、それによりアルメニア人の一部は離散(ディアスポラ)し、コンスタンチノープル(現イスタンブール)やバルカン半島、さらには西欧諸国に移住した。
言語系統・他の言語との関係
分類
古典アルメニア語(グラバル) - 独自の文字が創製された5世紀から記されるようになり、文学、神学、歴史学、詩学、神秘学そして叙事詩の分野において豊かな成果を残してきた。(ただし、アルメニア文字の発明以前から、別の文字による文献が存在していたといわれる)
中世アルメニア語 - およそ11世紀から17世紀のアルメニア語。このころには現在のトルコ南東部のキリキア(Cilicia)地方にキリキア・アルメニア王国(1198年?1375年)という、アルメニア人による独立国が存在していた。
現代アルメニア語 - 主に、次の2つの方言に大別される。
東アルメニア語 - アルメニア共和国の公用語であり、またイラン国内におけるアルメニア人の共同体において話されている。
西アルメニア語 - 主に、国外移住したアルメニア人によって話されている。これは、キリキア・アルメニア王国時代に形成されはじめたキリキア方言が時代とともに変遷してきたものである。
西方言でいくつかの閉鎖音が音韻推移をおこしたために、東方言と多少発音が異なる(後述)。
若干の文法的相違:格変化の形態に若干の違いがある、など
東方言はソ連時代に独自に正書法を改正したため、文書表記に違いがある。
例) ???????(東)/ ??????? (西) Hayeren 「アルメニア語」、????(東)/ ????? (西) 「希望」、????(東)/ ??? (西) 「七」[1]
話者分布
東方言
西方言
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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