アルミン・ラシェット
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ドイツ政治家アルミン・ラシェットArmin Laschet

生年月日 (1961-02-18) 1961年2月18日(63歳)
出生地 西ドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレン州
アーヘン
出身校ミュンヘン大学ボン大学
所属政党キリスト教民主同盟
サイン
キリスト教民主同盟党首
在任期間2021年1月22日 - 2022年1月22日
 ノルトライン=ヴェストファーレン州首相
在任期間2017年6月27日 - 2021年10月26日
連邦議会議員
当選回数2回
在任期間1994年11月10日 - 1998年10月26日
2021年10月26日 -
欧州議会議員
当選回数2回
在任期間1999年7月20日 - 2005年6月29日
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アルミン・ラシェット(ドイツ語: Armin Laschet、1961年2月18日 - )は、ドイツ政治家。同国ノルトライン=ヴェストファーレン州首相を2017年より4年間務めた。所属政党はドイツキリスト教民主同盟(CDU)で2021年に党首を務めた。
経歴
学歴・職歴

ノルトライン=ヴェストファーレン州アーヘンのブルトシャィト地区の保守カトリックの中間層家族に生まれた。ギムナジウム生徒の時、アーヘンの聖ミヒャエル教会教区において積極的に青年運動に参加した。1980年にアビトゥーア合格後、ミュンヘン大学ボン大学法学と国家学を学ぶ。1987年に第1次法律国家試験に合格。ミュンヘン大学在学時に学生組合のメンバーになる。1986年から1988年の間、法律学を修めると同時にジャーナリストとしての知識も学んだ。

1986年から1991年までバイエルンのバイエルン放送のラジオとテレビのボン通信員を務めた。さらに並行して1987年から1994年までドイツ連邦議会議長リタ・ジュースムートの学術部門の助言者でもあった。1991年にアーヘン教会新聞の主席編集者に就任、1995年から1999年までアインハルト出版社の出版編集部門のトップでもあった。欧州学術・芸術アカデミー会員でもある[1]
党歴アルミン・ラシェット(2014年)

18歳の時にキリスト教民主同盟(CDU)に入党し、1989年に最年少のアーヘン参事会員に選ばれて以後15年間アーヘンの行政に関与した。2001年にはCDUアーヘン郡代表に就任。2008年、CDU連邦幹部会の一員に選出された。2010年、ノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙においてCDUが敗北し、州首相であったユルゲン・リュットガースが責任を取って州代表を辞任したことによって行われた CDU州支部代表選において候補者の一人になったが、対立候補者であったノベルト・レトゲン連邦環境相に敗北している。レトゲンは2012年5月13日に行われた州議会選挙で州首相候補になった。しかし、ここでも CDUは大敗を喫した。選挙後、2012年6月の CDU州代表選に有力候補だったレトゲンが出馬を辞退したため、2012年6月30日に開催された臨時州党大会でラシェットが、 CDUノルトライン=ヴェストファーレン州支部代表に就任した[2]。2012年12月4日で開催されたCDU党大会で副党首の一人に選ばれた。

ラシェットは2012年5月において、2017年5月の州議会選挙においてCDUのノルトライン=ヴェストファーレン州首相候補になる意欲があることを明かした。
議員歴アルミン・ラシェット(2018年)

1994年、ラシェットはドイツ連邦議会アーヘン小選挙区で直接投票によって当選し、1998年まで連邦議会に所属した。1999年、欧州議会議員に選出され、とりわけ外交、安全保障、国際協力、財政政策に注力した。2005年6月24日、当時ノルトライン=ヴェストファーレン州首相だったリュットガースによって州の社会統合担当大臣に任命された。その彼の閣僚としての職務は2010年6月14日にハンネローレ・クラフトによるドイツ社会民主党(SPD)と同盟90/緑の党による赤緑連立州政府発足により終了した。なお、2010年5月9日のノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙において、初めて彼は州議会議員として選出された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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