アルマトイ
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この項目では、都市について説明しています。その他の用法については「アルマトイ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「ヴェールヌイ」はこの項目へ転送されています。ソ連の軍艦については「響 (吹雪型駆逐艦)」をご覧ください。

アルマトイ
Алматы
Алма-Ата

アルマトイの市街地


市旗市章

位置

位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}アルマトイ (アルマトイ)アルマトイの地図を表示アルマトイ (アルマトイ州)アルマトイ州の地図を表示アルマトイ (カザフスタン)カザフスタンの地図を表示アルマトイ (西南アジア)西南アジアの地図を表示[1]

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度16分39秒 東経76度53分45秒 / 北緯43.27750度 東経76.89583度 / 43.27750; 76.89583
行政
カザフスタン
 行政区画アルマトイ(政令指定地区)
 市アルマトイ
Akimバウィルジャン・ バイベク
地理
面積 
  市域324.8 km2 (125.4 mi2)
標高500~1700 m
人口
人口(2014年現在)
  市域1,530,000人
    人口密度  3,776人/km2(9,779.8人/mi2)
その他
等時帯UTC+5
郵便番号050000 - 050063
市外局番+7 727
ナンバープレートA
ISO 3166-2ALA
公式ウェブサイト : ⇒http://www.almaty.kz/

アルマトイ(Алматы, 発音 [?lm?t?] アルマトゥ、: Almaty)は、カザフスタン南東部にある都市。人口153万人で同国最大の都市である。同国における経済教育文化の中心地であり、「南の首都」とも呼ばれる[2]

キルギス共和国および中国との国境に近く、南に天山山脈を望む風光明媚な街として知られている。中央アジア最高水準の世界都市であり[3]、1997年まで同国の首都であった。2002年まではアルマトイ州の州都であったが、2003年に州都の地位をタルディコルガンに譲り、政令指定地区とされた。カザフ国立大学(カザフ語版、ロシア語版)をはじめ多くの高等教育機関、政府機関などがある。

1991年ソビエト連邦を解体し、独立国家共同体を始動した協定はここアルマトイで調印された。遷都後の現在でもアルマトイはカザフスタンで最大の都市であり、商工業・文化の中心都市である[4]
地名アルマトイの街並み近代的なアルマトイの街並み標高4,979mのタルガル峰

日本語に広く定着している「アルマトイ」は町の名前のキリル文字綴りをロシア語の日本語転写の慣例によってカタカナに写した場合、「アルマトゥイ」となるはずのものを、さらに「トゥイ」を「トイ」に略したものである[要出典](ыを参照)。カザフ語の発音に近い「アルマトゥ」と書かれることもある。英語読みでアルマティとすることも。

アルマトゥ(Алматы)は、1921年に現在のカザフスタンの前身である自治共和国が成立する前から町を指して使われていたカザフ語の名称であり[5][6]、19世紀にロシア人がこの地に進出した後もカザフ族からはアルマトゥと呼ばれることが多かった[7]。語源は「リンゴの里」であり、かつては町の近辺にリンゴ林が広がっていたが、現在は都市開発に伴ってリンゴの樹は数を減らしている[8]

かつて、日本を含め国際的にはこの町はアルマ・アタ(: Алма-Ата)という名称で呼ばれていた。これは、カザフ語ではなくロシア語での呼称で、ソビエト連邦時代に事実上の公式名称となっていたものである。アルマ・アタ(:Alma-Ata)は、カザフ語でアルマ(алма)は「リンゴ」、アタ(ата)は「父」を意味するため、「リンゴの父[9][10]」を意味していた。

1854年秋に完成したコサックが建設したヴェールノエ要塞の名は、「忠誠の土地」を意味する言葉である[10]。この要塞の周辺には Bolshaya Almatinskaya Stanitsa という集落が作られた。1867年4月11日に要塞を含めた町は、Almatinskと名付けれられたが、住民の反対によりすぐさま Verniy に改名された[11]
歴史20世紀初頭に建立されたロシア正教会に属するゼンコフ教会。木造の建築物として世界で2番目の高さを誇る[12]ゼンコフ教会詳細は「アルマトイのタイムライン(英語版)」を参照

アルマトイ郊外の山コクトベ(英語版)には、紀元前10世紀から紀元前9世紀のものと思われる青銅器時代の住居跡が存在する[8]。アルマトイから東50kmに位置する[13]イッシクからは、紀元前5世紀から紀元前4世紀ごろと推定されるサカ族の遺跡が発掘され、[8]独自の文字が刻まれた銀製のカップが出土した[13]。イッシクのほか、アルマトイ近郊には発掘調査が行われていないサカの遺跡が多く存在する[14]

中世にはシルクロードの天山北路のオアシスとして、交易が行われていた。アルマトイ近郊の10世紀から13世紀のものと思われる遺跡からは、タンドリ(窯)、焼きレンガ、貨幣が発掘された[8]。出土した貨幣の表面には「アルマトゥ」の名前が刻まれていた。13世紀のモンゴル帝国の中央アジア遠征の後、アルマトイの名前は多くの人から忘れ去られた[9]

1730年1729年)にはアブル=ハイル・ハンが率いるカザフ族の連合軍が、アルマトイ北西のアヌラカイ山で抗争を繰り返していたジュンガルを撃破する[15]

1854年、シベリア・コサック天山山脈のふもとに要塞を建設し、ザイリースキー(ザイリスコエ、Заилийский)と呼んだ。


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