アルベール・コーエン
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アルベール・コーエン
Albert Cohen
1909年
誕生アブラハム・アルベール・コーエン
(1895-08-16) 1895年8月16日
ギリシャコルフ島
死没 (1981-10-17) 1981年10月17日(86歳没)
スイスジュネーヴ
墓地ヴェイリエ・ユダヤ人墓地
職業作家政治活動家
言語 フランス
国籍 スイス
教育法学士
活動期間1921 - 1979年
ジャンル小説戯曲
代表作『ソラル』(1930年)
『釘食い男』(1938年)
『選ばれた女』(1968年)
主な受賞歴アカデミー・フランセーズ小説大賞 (1968年)
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アルベール・コーエン(Albert Cohen、1895年8月16日 - 1981年10月17日)は、ギリシャに生まれ(国籍オスマン帝国、後にスイスに帰化)、フランス語で執筆したユダヤ系小説家詩人劇作家および政治活動家1968年発表の『選ばれた女』でアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞。また、シオニズム運動の指導者ハイム・ヴァイツマンの要請によって『新フランス評論』が創刊した文芸誌『ユダヤ評論(フランス語版)』の編集委員、国際連盟におけるシオニズム運動の代表、(国際労働機関内)国際労働事務局職員(難民問題担当)、国際連合特別機関代表を歴任した。
背景 - ギリシャ

アルベール・コーエンは1895年8月16日、アブラハム・アルベール・コーエンとしてギリシャのコルフ島に生まれた。父はロマニオットセファルディムが定住する前の、ヘレニズム時代から2000年以上にわたってギリシャに住んでいたユダヤ人)で石鹸職人、父方の祖父はコルフ島のユダヤ社会の指導者(ラビ)であった。母はイタリア系ユダヤ人で、母方の祖父は王家の公証人であった[1][2]
フランス亡命

コーエンが生まれる4年前の1891年4月、コルフ島のユダヤ人居住区で8歳の少女ルビーナ・サルダの惨殺死体が発見された。過越祭の直前のことであったため、少女は養子に出されたキリスト教徒の娘であり、その生き血をユダヤ教の儀式に使うために殺したのだという噂が流れ(血の中傷)、かねてからくすぶっていた反ユダヤ感情が爆発した。暴動が頻発し、欧州全土に広がる勢いであった。この影響でユダヤ人は亡命を余儀なくされ、数年の間にユダヤ人の約3分の1がコルフ島を離れることになった。コーエン一家も1900年にマルセイユ(フランス)に移住した。コーエンが5歳のときであった。その後、彼がコルフ島に戻ったのは一度だけ、13歳のときにバル・ミツワー(ユダヤ教徒の成人の儀式)を受けるためであった[1]。それでもまだ戦前には2,000人以上のユダヤ人が住んでいたが、「戦後、強制収容所から生還したのはわずか180人」で、現在、コルフ島には「もうコーエン(ユダヤ系に多い姓)を名乗る者はいない。ユダヤ人は60人ほどしかいない」という[1]

81歳のときに著した自伝小説『ああ、あなた方、同胞である人間よ』(1972年出版)で、10歳の誕生日の出来事を初めて詳細に語った(最初は「私が10歳になった日」と題して、レイモン・アロンが編集長を務める月刊誌『自由フランス』に発表された)。


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