アルベルト・フリードリヒ・シュヴァルツ(Albert Fredrich Schwartz, 1905年5月11日 - 1984年7月5日)は、ドイツの軍人。ナチス・ドイツの時代に親衛隊(SS)に所属し、シュトゥットホーフ強制収容所の管理部長(Leiter der Standortverwaltung)や、ブーヘンヴァルト強制収容所の労働指導者(Arbeitseinsatzfuhrer)などを務めた。最終階級は親衛隊大尉。 1905年、西プロイセンのシュヴァルツェナウ(Schwarzenau, 現ポーランド領ビスクピエツ
経歴
1939年から1942年までダンツィヒの警察予備役(Polizeireserve)に所属し、ダンツィヒ警察長官が管理の責任を負う補助拘束収容所(Hilfsgefangenenlager)に勤務。1941年末までには身分を武装親衛隊に移しており、1942年には所長副官(Adjutant des Lagerkommandanten)としてシュトゥットホーフ強制収容所に赴任した[1]。
1942年10月からフィリップ・グリム(ドイツ語版)の後任としてブーヘンヴァルト強制収容所の労働指導者に就任し、1945年4月11日までこの職を務めた。彼の任務は収容者を適切な付属収容所(ドイツ語版)に割り当てると共に宿舎や設備等の手配を行うことであった。
敗戦後、ハンス=テオドール・シュミット、ハンス・メルバッハ(ドイツ語版)、マックス・ショーベルト(ドイツ語版)、アウグスト・ベンダー(ドイツ語版)、オットー・バルネヴァルトなどの収容所職員と共に逮捕され、アメリカ軍管理下のバート・アイブリング(ドイツ語版)の戦犯収容所に送られた。
シュヴァルツはダッハウ裁判(ドイツ語版)の一環として開かれたブーヘンヴァルト主要裁判(ドイツ語版)の中で裁かれた。1947年8月14日に収容所運営に十分な関与があったとして絞首刑が宣告されるが、その後終身刑に減刑されている。1954年5月14日にランツベルク戦犯収容所から解放される。その後は企業幹部として働き、1984年にアレンスベク(ドイツ語版)にて死去した。
脚注^ a b Harry Stein, Gedenkstatte Buchenwald (Hrsg.): Konzentrationslager Buchenwald 1937 ? 1945, Begleitband zur standigen historischen Ausstellung, Gottingen 1999, S. 309
参考文献
Buchenwald-Hauptprozess: Deputy Judge Advocate's Office 7708 War Crimes Group European Command APO 407: (United States of America v. Josias Prince zu Waldeck et al. ? Case 000-50-9), November 1947 ⇒Originaldokument in englischer Sprache (PDF-Datei)
Eugen Kogon: Der SS-Staat. Das System der deutschen Konzentrationslager; Frechen: Komet, 2000; ISBN 3-89836-107-1 (= Munchen: Heyne, 199531; ISBN 3-453-02978-X; Reinbek bei Hamburg: Kindler, 1974)
Ernst Klee: Das Personenlexikon zum Dritten Reich: Wer war was vor und nach 1945. Fischer-Taschenbuch-Verlag, Frankfurt am Main 2007. ISBN 978-3-596-16048-8.
Harry Stein, Gedenkstatte Buchenwald (Hrsg.): Konzentrationslager Buchenwald 1937 ? 1945, Begleitband zur standigen historischen Ausstellung, Wallstein Verlag, Gottingen 1999, ISBN 978-3-89244-222-6.
外部リンク
⇒Erlauterungen zum Foto von Albert Schwartz