アルベルト・バッサーマン
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アルベルト・バッサーマン
1940年の映画『海外特派員』から
本名Albert Bassermann
生年月日 (1867-09-07) 1867年9月7日
没年月日 (1952-05-15) 1952年5月15日(84歳没)
出生地マンハイム
国籍 ドイツ
職業俳優
ジャンル映画、舞台
配偶者エルゼ・バッサーマン
主な作品
赤い靴』(1948年)
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アルベルト・バッサーマン(Albert Bassermann, 1867年9月7日 - 1952年5月15日)は、ドイツ俳優
経歴ベルリン時代にバッサーマンが住んでいた住居に掲げられている記念銘板

マンハイムに生まれ、化学に関する高等教育を受けたが、1887年にマンハイムの劇場でボランティアスタッフとして参加したことから演劇を志し、俳優としての活動を始めた。その後マイニンゲンの劇場に4年間在籍してからベルリンに移る。1909年からはマックス・ラインハルトなどの下、ドイツ劇場で1915年まで研鑽を積んだ。

1913年からは優れた演技力から数多くのサイレント映画に主役級で出演。1934年オーストリア・トビス社製作の音楽映画『恋は終りぬ』で主演の田中路子を慕う老教授役で日本でも知られるところとなった。しかし、1908年に結婚していた女優のエルゼ(本名:エリザベート・ザラ・シフ、Elisabeth Sara Schiff)がユダヤ系であったことからナチス政権に女優活動を制限され、家族でスイスオランダ・オーストリアを転々としたのち、1938年3月13日に家族を伴いオーストリアからアメリカに渡った。アクセントの強い英語を武器にした性格俳優として映画・舞台で活躍した。

戦後、再び欧州へ戻り、ウィーンの国民劇場でナチス・ドイツの犠牲者へ捧げる公演であったヘンリック・イプセンの『幽霊』へも出演した。その後もいくつかの作品に客演したが、1952年にニューヨークからチューリッヒへ向かう機内で心臓発作を起こし、妻エルゼの腕に抱かれたまま亡くなった。マンハイム墓地の名誉墓碑の下に葬られている[1]
家族

妻のエルゼはライプツィヒ出身で、アルベルトの死後も女優やコラムニストとして活躍したが、1958年に病を得て、1961年5月29日、バーデン=バーデンにて83歳で亡くなった。

二人の間には1908年に生まれたカルメンという一人娘がいるが、長らく精神障害を患ったのち、1970年に交通事故で亡くなっている。
主な出演作品

バッサーマンは生存中に700のレパートリーをこなし、主演を含む通算70本への映画出演歴と10,000回を超える舞台出演歴を持つ。下記に、主な出演映画作品を挙げる。

公開年邦題
原題役名備考
1913年私の中の他人
Der AndereDr. Hallers
1917年鉄の意思
Der eiserne Wille
1919年最期の証拠
Der letzte Zeuge
1922年ファラオの恋
Das Weib des PharaoSothis
ルクレツィア・ボルジア
Lukrezia Borgia
アレクサンデル6世
鉄仮面
Der Mann mit der eisernen Maske
コロンブス
Christoph Columbusクリストファー・コロンブス
1923年学生王子
Alt-Heidelberg
1929年セント・ヘレナのナポレオン
Napoleon auf St. Helenaハドソン・ロウ
1931年愛の行方
Gefahren der LiebeDr.Ringius
予審
Voruntersuchung Dr. Konrad Bienert
1933年国際間諜団
Ein gewisser Herr GranTschernikoff, Kunsthandler
1935年恋は終りぬ
Letzte Liebeトーマス
1940年偉人エーリッヒ博士
Dr. Ehrlich's Magic Bulletロベルト・コッホ
海外特派員
Foreign Correspondentヴァン・メア
ロイター特派員
A Dispatch from Reutersフランツ・ゲラー
1941年女の顔
A Woman's Faceマグナス・バーリング
永遠の調べ
New Wineルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
1942年戦場を駆ける男
Desperate Journeyメイザー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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