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アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン
Albert Kasimir von Sachsen-Teschen
テシェン公
在位1766年 - 1822年
出生 (1738-07-11) 1738年7月11日
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、モーリッツブルク
死去 (1822-02-10) 1822年2月10日(83歳没)
オーストリア帝国、ウィーン
埋葬 オーストリア帝国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂
配偶者マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ
家名ヴェッティン家(アルベルティン家)
父親ポーランド王・ザクセン選帝侯アウグスト3世
母親マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
役職オーストリア領ネーデルラント総督
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アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン(Albert Kasimir von Sachsen-Teschen, 1738年7月11日 - 1822年2月10日)は、ドイツ・オーストリアの美術品の収集家、保護者。ウィーンの美術館アルベルティーナの創始者として知られる。また、オーストリア領ネーデルラントの総督も務めた(1780年 - 1793年)。全名はアルベルト・カジミール・アウグスト・イグナツ・ピウス・フランツ・クサーヴァー(Albert Kasimir August Ignaz Pius Franz Xaver)。 父はポーランド王(兼ザクセン選帝侯)アウグスト3世、母は神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の娘マリア・ヨーゼファで、2人の間の六男として生まれる。何人もの兄がいて家督の相続は望めない身分だったが、母の従妹にあたるオーストリアの「女帝」マリア・テレジアの娘マリア・クリスティーナと恋仲になり、結婚を許された。マリア・クリスティーナが女帝のお気に入りの娘であったことから、莫大な持参金とテシェン(チェシン)公国を得た上に、カール・アレクサンダー公子(女帝の夫フランツ1世皇帝の弟)の死後にオーストリア領ネーデルラントを夫婦で統治する取り決めもなされた。 子がなかったため、妻の弟レオポルト2世皇帝の三男カールを養子とし、ネーデルラント総督職とテシェン公領を継がせた。
生涯
脚注