アルベルト・エレーデ(Alberto Erede, 1909年11月8日 - 2001年4月12日[1])はイタリアの指揮者。
ジェノヴァに生まれ、ミラノ音楽院で作曲を修めた後、バーゼル音楽院でフェリックス・ワインガルトナーに指揮法を師事した。フリッツ・ブッシュの下でアシスタントを務めた後、1934年に、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアのコンサートを指揮してデビューを飾った。1935年にはトリノでワーグナーの《ニーベルングの指環》を指揮してオペラ指揮者として成功を収め、グラインドボーン音楽祭やザルツブルク音楽祭などに出演するようになった。1937年には、アメリカのNBC交響楽団を指揮してアメリカ・デビューを飾っている。第二次世界大戦中はイタリアに戻り、トリノ・イタリア放送交響楽団の指揮者を務めていた。戦後はメトロポリタン歌劇場で活躍した後、1956年からライン・ドイツ・オペラ
に出演し、1958年から3シーズン同歌劇場の音楽監督を務めた。またエーテボリ交響楽団の指揮者も務めた。モンテカルロの自宅で死去。 この「アルベルト・エレーデ」は、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけ項目ですが、内容が不十分です。この記事を加筆・訂正
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更新日時:2016年6月10日(金)07:16
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