アルべマール伯爵
Earl of Albemarle
アルべマール伯ケッペル家の紋章Gules, three escallops argent
創設時期1697年2月10日
創設者ウィリアム3世
貴族イングランド貴族
初代アーノルド・ヴァン・ケッペル
現所有者ルーファス・ケッペル
アルベマール伯爵(英語: Earl of Albemarle)は、イングランド貴族の伯爵位の一つ。名誉革命でイングランド王位に就いたウィリアム3世(オランダ総督オラニエ公ウィレム3世)に従ってオランダからイングランドへやってきたウィリアム3世の近臣アーノルド・ヴァン・ケッペルが1697年に叙位されたのに始まる。爵位名の「アルべマール」とはフランス・ノルマンディーの地名オマール(フランス語版)がラテン語化された名前(英語版)"Alba Marla"(「白い泥灰土」の意)から転じた言葉であり、"Aubemarle"や"Aumerle"と綴られることもある。ウィリアム3世のアーノルドへの勅許状にも「ノルマンディー公国の都市と領域」と書かれている[1]。
これ以前にノルマン貴族やフランス貴族やイングランド貴族として創設されたオマール伯爵及び公爵(英語版)についてはそちらの項目を参照。 オランダ出身で1688年に名誉革命で王位に就いたオランダ総督オラニエ公ウィレム3世(ウィリアム3世)に従ってイギリスへやって来たアーノルド・ヴァン・ケッペル (1670?1718) は、ウィリアム3世と同性愛の関係となり[1]、1696/7年2月10日にイングランド貴族爵位アルベマール伯爵 (Earl of Albemarle)、ランカスター州におけるベリーのベリー子爵 (Viscount Bury, of Bury in the County of Lancaster)、ケント州におけるアシュフォードのアシュフォード男爵 (Baron Ashford, of Ashford in the County of Kent)に叙位された[2][3]。その後、彼はオランダへ帰り、スペイン継承戦争でオランダ軍人として初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルの指揮下で戦ったがドゥナの戦いで捕虜となった[1]。 1718年に初代伯が死去した後、息子のウィリアム (1702?1754) が2代伯を継承。彼はイギリス陸軍軍人となり、陸軍中将まで昇進。オーストリア継承戦争のフォントノワの戦いやジャコバイト蜂起の際のカロデンの戦いなどに参加した。1749年から1754年にかけては駐フランスイギリス大使を務めている[2][4] 2代伯の死後、その息子ジョージ・ケッペル (1724?1772) が3代伯を継承した。彼も陸軍軍人となり、陸軍大将まで昇進。父とともにフォントノワの戦いやカロデンの戦いに参加している[2]。七年戦争ではハバナの戦いを指揮した。また63,000ポンドでクイデナム
歴史
その息子である4代伯ウィリアム (1772?1849) は、ホイッグ党の貴族院議員として政界で活躍し、ホイッグ党が参加した1806年からの大連立政権グレンヴィル内閣でバックハウンド長官(英語版)、1830年からのホイッグ政権では主馬頭(英語版)を務めた[2][6]。
死後、その息子のオーガスタス(英語版)(1794?1851) が5代伯を継承した。彼は襲爵前の1820年から1826年にかけてアランデル選挙区(英語版)選出の庶民院議員を務めていた[2]。