この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。
出典検索?: "アルフレート・ブレンデル"
アルフレッド・ブレンデル
Alfred Brendel
基本情報
生誕 (1931-01-05) 1931年1月5日(93歳)
出身地 チェコスロバキア→ オーストリア
学歴グラーツ音楽院
ジャンルクラシック音楽
職業ピアニスト
担当楽器ピアノ
アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931年1月5日 - )は、チェコスロバキア(チェコ)出身でユーゴスラビア(クロアチア)に育った、オーストリアのピアニスト。
人物・来歴(ドイツ語版))生まれ。当時は戦間期であり、同地方はチェコスロヴァキア領になっていた。ホテル経営者の裕福な家庭に生まれ[1]、音楽への興味はレコードやラジオを通して育まれた。
6歳からピアノを学び始め[1]、両親とともにザグレブに移った後、ソフィア・デゼリチェというピアニストから正式なレッスンを受けるようになった。1943年にグラーツへ移り、グラーツ音楽院でルドヴィカ・フォン・カーンにピアノを、アルトゥール・ミクルに音楽理論を師事している。
1947年に音楽教員の資格を取得するためにウィーンへ行き、ウィーン音楽院でパウル・バウムガルトナーやエドゥアルト・シュトイエルマンに短期間学んだものの、ほぼ独学でピアノのレッスンに励んだ。1948年、グラーツで初めてのリサイタルを開催する。翌1949年のブゾーニ国際コンクールで4位入賞し、ウィーンでのコンサート・デビューを飾った[1]。また、この年の夏にルツェルンで行われていたエドヴィン・フィッシャーのマスター・クラスに参加する。この後も、3回マスター・クラスを受講し、多大な影響を受けた。
1960年代以降、次第に国際的な名声を得るようになるが、1970年にフィリップスと専属契約を結び、リリースしたレコードでその名声を決定づける。
1960年代にベートーヴェンの全ピアノ曲を録音した初のピアニストとなる[1]。1970年代にベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音(フィリップ)した。[1] 1982年から1983年にベートーヴェンの全ソナタ32曲を欧米の11都市、77リサイタルで演奏。1996年にベートーヴェンの全ソナタの全曲を録音(3回目)した[1]。
ブレンデルの演奏は、華麗さや派手さはないものの、中庸を行く知的で正統的な解釈で多くの音楽ファンを惹きつけている。レパートリーも、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった、ドイツ・オーストリア音楽の王道とも言うべき作曲家の作品を得意としている。中でもベートーヴェンとシューベルトはレパートリーの核を成し、両作曲家のピアノソナタ全集を3回にわたって録音している[1]。さらに新ウィーン楽派の作品も多く演奏している。
1971年に初来日し、その後も頻繁に来日している[1]。
ソロ以外では室内楽や歌曲の伴奏でも多くの演奏を生み出しており、息子でチェリストのアドリアン・ブレンデル(ドイツ語版)と共演したベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集を発表し、話題となった。
2008年12月のコンサートをもって引退することを表明した[1]。本人は引退後は指導者になることを希望している。 ブレンデルはハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、モーツァルトの曲を頻繁に演奏していた。20世紀の作品の演奏は比較的少ないが、シェーンベルクのピアノ協奏曲は演奏したことがある。コンサート活動の終盤には、関節炎を理由にベートーヴェンのハンマークラヴィーア・ソナタなど、身体的に負担のかかる曲の演奏を中止した[要出典]。 ブレンデルはそのキャリアを通じて人気と賞賛を集め続けたが、しばしば解釈の冷徹さを指摘されることがあった。音楽評論家のマイケル・スタインバーグ (Michael Steinberg) からは「新しいシュナーベル」と称賛されたが、『ニューヨーク・タイムズ』の評論家ハロルド・C・ションバーグ (Harold C. Schonberg) は、一部の評論家や専門家がこのピアニストを「衒学主義」と非難していると指摘している[2]。ブレンデルの演奏は時に「知的」と評される[3]。ブレンデルはピアニストの最大の仕事は、自分を誇示したり、音楽に自分の解釈を付け加えたりせずに作曲家の意思を尊重することと考えていると語り、「私には作曲家や特に曲に対して責任がある。」と述べている[4]。ブレンデルは、自身の音楽的成長に特に影響を与えた人物として、師であるエドヴィン・フィッシャーに加え、ピアニストのアルフレッド・コルトー、ヴィルヘルム・ケンプ、指揮者のブルーノ・ワルターとヴィルヘルム・フルトヴェングラーを挙げている[要出典]。 ブレンデルはポール・ルイス (Paul Lewis)[5]、アマンディーヌ・サヴァリ (Amandine Savary)[6]やティル・フェルナー (Till Fellner)[7]、またキット・アームストロング (Kit Armstrong)[8][9]のような若手ピアニストとも共演している。
業績