アルフレッド・セイヤー・マハン
Alfred Thayer Mahan
生誕1840年9月27日
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ウェストポイント
死没 (1914-12-01) 1914年12月1日(74歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
所属組織 アメリカ海軍
軍歴1861 - 1896、1898
最終階級海軍少将
除隊後歴史家
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アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan [m??han][1], 1840年9月27日 - 1914年12月1日)は、アメリカ合衆国の海軍軍人・歴史家・地政学者。最終階級は海軍少将。
マハンはアメリカ海軍の士官であるだけでなく、研究者としても名を馳せた。その研究領域は海洋戦略・海軍戦略・海戦術などに及び、シーパワー・制海権・海上封鎖・大艦巨砲主義などに関する研究業績がある。中でも古典的な海洋戦略を展開した『海上権力史論』は世界各国で研究されている。「世界の諸処に植民地を獲得せよ。 アメリカの貿易を擁護し、かつ外国に強圧を加えるために諸処に海軍根拠地を獲得し、これを発展させよ」との持論を持っていた[2]。又、初めて中東という呼称を使ったとも言われている。
19世紀フランスの研究者アントワーヌ=アンリ・ジョミニや父デニス・ハート・マハンの影響を強く受けており、マハンの研究に影響を受けた人物にはセオドア・ルーズベルト、ヴィルヘルム2世、ジュリアン・コーベット、佐藤鉄太郎、秋山真之などがいる。彼に因んでいくつかの艦船が「マハン」と命名された。 マハンはニューヨーク州ウェストポイントで、陸軍士官学校の教授であったデニス・ハート・マハンとメアリー・ヘレナ・マハン夫妻の間に生まれる。親の希望に反してコロンビア大学で2年間学び、その後海軍兵学校に進んだ。
生涯・人物
1885年には論文『メキシコ湾と内海』が評価されたため、海軍大佐に昇進して海軍大学校の初代教官を務め、海戦術の教育を担当した。