アルフォンソ3世_(アラゴン王)
[Wikipedia|▼Menu]

アルフォンソ3世 / アルフォンス3世
Alfonso III / Alfons III
アラゴン王

在位1285年 - 1291年
出生1265年11月4日

死去1291年6月18日

王家バルセロナ家
王朝バルセロナ朝
父親ペドロ3世
母親コンスタンサ・デ・シシリア
テンプレートを表示

アルフォンソ3世(西:Alfonso III, 1265年11月4日 - 1291年6月18日)は、アラゴンバレンシア王、およびバルセロナ伯(在位:1285年 - 1291年)。カタルーニャ語ではアルフォンス3世(Alfons III, バルセロナ伯としては2世)。自由王(西・カ:el Liberal)と呼ばれる。アラゴン王とシチリア王を兼ねたペドロ3世(シチリア王としてはピエトロ1世)とその王妃であったシチリア王マンフレーディの王女コンスタンサの長男。アラゴン王(一時シチリア王)ハイメ2世、シチリア王フェデリーコ2世の兄である。
生涯

1285年、父王の死去によりアラゴンの王位に即いた。1287年にはバレアレス諸島メノルカ島を征服した[1]。しかし、貴族を抑える事ができず王権は弱体化し、さらに王への抵抗権をUnion de Aragonで認めた事によって問題は永続化した。

1291年に未婚のまま27歳で死去し、すでにシチリア王位についていた弟ハイメがアラゴン王位も継いだ[2]

ダンテの『神曲』では、13世紀のヨーロッパの他の君主たちと共に煉獄の門の外で登場し、ダンテは混乱をもたらしたとしてアルフォンソ3世を非難している。
脚注^ 関 他、p. 222
^ 関 他、p. 225

参考文献

関哲行 他 『世界歴史大系 スペイン史 1』 山川出版社、2008年

先代:
ペドロ3世(大王)アラゴン
バルセロナ伯
バレンシア王
1285年 - 1291年次代:
ハイメ2世(公正王)










アラゴン王(1285年 - 1291年)
ヒメノ朝

ラミロ1世1035-1063 / サンチョ・ラミレス1063-1094 / ペドロ1世1094-1104 / アルフォンソ1世1104-1134 / ラミロ2世1134-1137 / ペトロニラ1137-1164
バルセロナ朝

アルフォンソ2世1164-1196 / ペドロ2世1196-1213 / ハイメ1世1213-1276 / ペドロ3世1276-1285 / アルフォンソ3世1285-1291 / ハイメ2世1291-1327 / アルフォンソ4世1327-1336 / ペドロ4世1336-1387 / フアン1世1387-1396 / マルティン1世1396-1410
トラスタマラ朝

フェルナンド1世1412-1416 / アルフォンソ5世1416-1458 / フアン2世1458-1479 / エンリケ4世(対立王)1462-1463 / ペドロ5世(対立王)1463-1466 / レナト1世(対立王)1466-1472 / フェルナンド2世1479-1516 / フアナ1504-1555
アブスブルゴ朝

カルロス1世1516-1556 / フェリペ1世1556-1598 / フェリペ2世1598-1621 / フェリペ3世1621-1665 / カルロス2世1665-1700
ボルボン朝フェリペ4世1700-1705
アブスブルゴ朝カルロス3世1705-1714
※1715年、スペイン王位へ統合

この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますP:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。


更新日時:2017年2月27日(月)11:35
取得日時:2018/12/26 04:29


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:11 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef