アルフォンス・デーケン
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アルフォンス・デーケン人物情報
生誕 (1932-08-03)
1932年8月3日
ドイツ ニーダーザクセン州
死没2020年9月6日(2020-09-06)(88歳)
出身校フォーダム大学
学問
研究分野哲学死生学
研究機関上智大学
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アルフォンス・デーケン(ドイツ語: Alfons Deeken, 1932年8月3日[1] -2020年9月6日[2])は、ドイツオルデンブルク生まれのイエズス会司祭哲学者上智大学名誉教授[2]
経歴

ドイツのニーダーザクセン州生まれ[2]。8人兄弟の3番目に生まれ、父は実業家であった。学校での成績が優秀であったため、校長よりナチの指導者養成学校に推薦された。しかし、一家で反ナチス運動をしていたためその推薦を断った。第二次世界大戦中に日本二十六聖人の1人、ルドビコ茨木の伝記に出会い、日本での活動を願うようになった。ドイツの降伏時に、連合軍を歓迎しようとした祖父を眼前で連合軍兵士に射殺されている。

1952年、イエズス会に入会。東ヨーロッパ、西ヨーロッパ各地での活動を経て、1959年に来日した[2]。1965年には司祭叙階される。1973年フォーダム大学で哲学博士(Ph.D.)の学位を取得し、上智大学文学部教授に就いた。長く上智大学で教鞭を取り、文学部人間学研究室で「死の哲学」、「人間学」、「生と死の教育」の講座を受け持った[3]。1982年頃から「死生観死の準備教育」を提唱し、社会に問いかけた。1982年に「生と死を考える会」を発足させ、終末期医療の改善やホスピス運動の発展などに尽くした[2]

2003年に上智大学を定年退職し、上智大学名誉教授となった。2003年以降はドイツへ帰国し、しばらく研究生活を送ったが、ふたたび来日した。以後、日本各地で講演活動を行った。ユーモアにあふれた講演は人気があり、80歳を超えても、1日2回以上の講演を受け持つことがあった。書き下ろしの「ユーモア感覚のすすめ」は中学校の国語教科書に掲載されていた。2020年、肺炎で死去[2]
受賞・栄典

1975年:アメリカ文学賞(倫理部門)を受賞。

1989年:グローバル社会福祉・医療賞を受賞。

1991年:全米死生学財団賞を受賞。

1991年:
菊池寛賞を受賞[2]

1998年:「死への準備教育」普及の功績によりドイツ政府からドイツ連邦共和国功労勲章を受章。

1999年:第15回東京都文化賞[2]

1999年:第8回若月賞を受賞

研究内容・業績

死生学においては、日本の代表的な学者であり、その草分け的な存在であった。来日当初は日本における死のタブー感から、大学内でもその研究の存続を危ぶむ声があったという。

生涯を通じて、などによって死期が迫っている人々のための施設(ホスピス)や、より良いを送るための支援活動・講演活動に熱心に取り組んだ。死生観研究の観点から、伯母がシカゴで経営する施設をはじめとして、多くのホスピス老人ホームなどを視察している。そのため、厚生省厚生労働省)のオブザーバーとして有識者会議などに参加していた。来日当時「がんは早期に告知して、治療の見込みのない患者はホスピスに移す」ことを提案したが、厚生省の役人らから「日本ではガンは告知しないことになっている」と強硬に反対されたこともあったという。

著作
単著

『第三の人生 あなたも老人になる』
松本たま訳(南窓社、1982

『デーケン教授の東西見聞録』騎西潤訳(中央出版社、1988年)

『中高年の危機と挑戦』女子パウロ会 1990

『人間性の価値を求めて マックス・シェーラーの倫理思想』阿内正弘訳(春秋社、1995年)

キリスト教と私』(聖母の騎士社・聖母文庫、1995年)

『ユーモアは老いと死の妙薬 死生学のすすめ』(講談社、1995年)


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