Albert Michelson
アルバート・マイケルソン
Albert Abraham Michelson
生誕 (1852-12-19) 1852年12月19日
プロイセン王国 ポーゼン州
ノーベル賞受賞者
受賞年:1907年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:干渉計の考案とそれによる分光学およびメートル原器の研究
アルバート・エイブラハム・マイケルソン(Albert Abraham Michelson, 1852年12月19日 - 1931年5月9日)は、アメリカの物理学者。アメリカ海軍士官。光速度やエーテルについての研究を行った。1907年、光学に関する研究によってノーベル物理学賞を受賞した。これは科学部門における、アメリカ人初の受賞でもある。 プロイセン王国のストシェルノ(en
生涯
1869年、大統領ユリシーズ・グラントの命によってアメリカ海軍兵学校に入学。そこで4年間、光学、熱、気候学、製図などを学んだ。1873年に卒業すると海軍に入隊して2年間洋上で過ごし、1875年には兵学校に戻って1879年まで化学と物理学の講師を務めた。1879年、ワシントンの航海年鑑局に異動となり、サイモン・ニューカムと共に働くようになった。しかし翌年彼は休暇を願い出て、ヨーロッパで学ぶための旅に出た。ベルリンやハイデルベルクの大学、パリのコレージュ・ド・フランスやエコール・ポリテクニークを訪れている。
マイケルソンは科学に魅了され、特に光速度の測定という問題に惹かれるようになる。1877年、兵学校での授業の一環としてアナポリスで光速度測定実験を初めて行った。ヨーロッパで二年間学んだ後、1881年に海軍を退官。このころマイケルソン干渉計を発明。1883年、オハイオ州クリーブランドのケース工科大学で物理学教授の職を得、そこで干渉計の改良に取り組んだ。1887年、エドワード・モーリーと共に有名なマイケルソン・モーリーの実験を行い、エーテルの存在を事実上否定することになった。