アルバート・プホルス
Albert Pujolsロサンゼルス・エンゼルスでの現役時代
(2019年5月11日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
アメリカ合衆国
(二重国籍)[1]
出身地 ドミニカ共和国
サントドミンゴ
生年月日 (1980-01-16) 1980年1月16日(44歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション一塁手、外野手
プロ入り1999年 MLBドラフト13巡目
初出場2001年4月2日
最終出場2022年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
フォートオーセージ高等学校(英語版)
メトロポリタン・コミュニティカレッジ(英語版)
セントルイス・カージナルス (2001 - 2011)
ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム
ロサンゼルス・エンゼルス (2012 - 2021)
ロサンゼルス・ドジャース (2021)
セントルイス・カージナルス (2022)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国
WBC2006年
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ホセ・アルバート・プホルス・アルカンタラ(Jose Alberto Pujols Alcantara[注釈 1], 1980年1月16日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。愛称はザ・マシーン[5]。
MLBにおける最高の打者の1人で、2001年のデビューから2010年までの間、打率3割・30本塁打・100打点を10年連続で達成した。アメリカ合衆国外出身選手最多本塁打記録保持者[6]。 1980年1月16日にドミニカ共和国の首都サントドミンゴで誕生。一人っ子だったが、彼が"兄弟"と呼ぶ10人の叔父・叔母に囲まれ、主に祖母に育てられた。父のビエンベニード・プホルスはソフトボールのピッチャーだったが、アルコール依存症でもあり、試合後に父親が酔っぱらってしまうと、よく家に連れて帰らなければならなかった。5歳のときにはバットを握り、幼少期から野球に親しんでいたが[7]、ボールはライム、グローブは牛乳パックであった。16歳のとき、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティに家族で移住。当初は英語が話せず孤独を感じていた。しかし野球では伝説的な力を見せ、フォート・オーセージ高校時代にはオール・ステート・アスリートに2回選ばれた。また、相手監督が年齢詐称を訴えるということもあり、3年生時には88打席で55回敬遠された[8][9]。 1998年に高校を卒業し、メトロポリタン・コミュニティ大学に奨学生として進学した。大学生活の初戦で満塁本塁打を放った。1年生時は遊撃手で活躍して、打率.461、22本塁打を記録し、ドラフトを受けることにした[9]。 1999年6月2日のMLBドラフトでは、年齢やポジション、体格などが懸念され、セントルイス・カージナルスからの13巡目(全体402位)まで指名されなかった。
経歴
プロ入り前
プロ入りとカージナルス時代