アルバロ・デル・ポルティーリョ
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アルバロ・デル・ポルティーリョ
Alvaro del Portillo
オプス・デイ初代属人区長(第2代総長)

教会カトリック教会
主教区オプス・デイ属人区
着座1975年(第2代総長として)
1982年(属人区長として)
離任1994年
前任ホセマリア・エスクリバー
後任ハビエル・エチェバリーア・ロドリゲス
他の役職私立ピウラ大学総長[1]
ペルー
聖職
司祭叙階1944年6月25日
司教叙階1991年1月6日
教皇ヨハネ・パウロ2世が叙階決定
個人情報
出生 (1914-03-11) 1914年3月11日
スペイン
マドリード
死去1994年3月23日(1994-03-23)(80歳)
イタリア
ローマ
紋章
聖人
記念日5月12日
称号福者
列福2014年9月27日
スペイン
マドリード
列福決定者アンジェロ・アマト枢機卿
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福者アルバロ・デル・ポルティーリョ(Alvaro del Portillo / マドリード、1914年3月11日 - ローマ、1994年3月23日)はスペイン出身のカトリック教会司教であった。オプス・デイの初代属人区長。司祭叙階前はエンジニアであった。

オプス・デイ創立者である聖ホセマリア・エスクリバーの忠実な協力者であった。また、創立者の死去後、最初の後継者としてオプス・デイを導いた。模範的な司祭として教会に仕え、特に、第2バチカン公会議において活躍した。1991年、司教に叙階される。2014年、列福されて福者アルバロ・デル・ポルティーリョとなる[2]福者としての記念日は5月12日。尊称「ドン・アルバロ」。
生涯

アルバロ・デル・ポルティーリョ師は、1914年3月11日スペイン首都マドリードカトリック信者の家庭に8人兄弟の3番目の子として生まれた。師は土木工学博士であり、哲学教会法の博士でもあった。

1935年、聖ホセマリア・エスクリバー師が1928年に創立したオプス・デイに加わり、以後専門職と日常の務めを聖化しつつ、オプス・デイへの召し出しを十全に生きた。学業や専門職の場で同僚との幅広い使徒職を繰り広げた師は、早くから聖ホセマリアの右腕となり、およそ40年間、腹心の協力者としてその傍らで働いた。

1944年6月25日、司祭叙階され、以後、司牧活動のみに従事し、オプス・デイのメンバーと全ての人々に仕えた。1946年、聖ホセマリアと共にローマに居を定める。聖座の種々の省の顧問に任命されて勤勉にその職責を果たした他、特に第2バチカン公会議の仕事に積極的に参加するなど、倦むことなく教会に仕えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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