アルバロ・ウリベ・ベレス
Alvaro Uribe Velez
コロンビア共和国
第58代 大統領
任期2002年8月7日 – 2010年8月7日
ありフランシスコ・サントス・カルデロン
出生 (1952-07-04) 1952年7月4日(71歳)
コロンビア、メデジン
政党プリメーロ・コロンビア(Primero Colombia)
配偶者リナ・モレーノ・デ・ウリベ
撮影: Ana Nascimento - ABr. 2003年9月16日
アルバロ・ウリベ・ベレス(Alvaro Uribe Velez、1952年7月4日 - )はコロンビアの政治家。現在、同国上院議員。第58代大統領を務めた(在任2002年 - 2010年)。 アルバロ・ウリベはアルベルト・ウリベ・シエラとラウラ・ベレスの間に5人兄弟の長男として生まれた。母は市会議員であり、父は富裕な牧場経営者であった。アルバロが10歳の時ウリベ家はサルガールの牧場からメデジンへ越している。アルバロはイエズス会及びベネディクト会が経営する学校に通っている。1970年にホルヘ・ロブレド学院に進学し、アルバロは成績により後期2年間は全ての試験を免除された。 ウリベはその後アンティオキア大学で成績により奨学金を受けながら学び、1977年に法律学の学位を得た。その頃からウリベはコロンビア自由党
生い立ちと学歴
1993年にはハーバード大学で行政学と経営学の専攻を終えた。その時に紛争交渉コースも受講している。1998年から2000年にはイギリス議会のシモン・ボリバル奨学金を得てケンブリッジ大学の聖アントニー・カレッジの上級客員研究員となった。 1977年にウリベはメデジン公共事業会社
政治的経歴
1980年から1980年までフリオ・セサル・トゥルバイ・アヤラ大統領の指名で文民航空局長を務めた。
1982年からはメデジン市長を務めるためにこの職を離れた。3ヵ月間の在任期間中に彼はいくつかの公的な仕事をした。
批評によればウリベの業績としてメデジンの貧困層の大規模住宅事業、植林キャンペーンの2つが挙げられる。これらはメデジン・カルテルの麻薬王の一人であるパブロ・エスコバルが市民の共感を買うために始めた事業だった。ウリベは麻薬組織と公然と関係を持っていたために解任された。
1983年にウリベの父・アルベルトは麻薬取引を行う知人のヘリの中でFARCにより誘拐の後殺害された。アルベルトはアメリカの麻薬取締局 (DEA) によるコロンビアへの身柄引渡請求の対象者であった。父の死後、ウリベは父のものとなった所有財産を処分し、コロンビア自由党のメンバーとして職掌に専念した。
この後1984年から1986年まで彼はメデジンの市会議員を務めた。 ウリベは1986年から1990年まで及び1990年から1994年までの2期にわたり、アンティオキア州選出の上院議員に選ばれた。 そこでウリベは7つの委員会の委員長を務め、法案を支持した。扱われた内容は、住宅改革、労働改革、行政職の促進、サッカークラブへの民主的な融資、信用組合の促進、教員共済の創設、黒砂糖の生産、家長としての女性の保護など。
アンティオキア州選出上院議員