アルバカーキ
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アメリカ海軍の原子力潜水艦については「アルバカーキ (原子力潜水艦)」を、同軍の哨戒フリゲートについては「アルバカーキ (哨戒フリゲート)」をご覧ください。

アルバカーキ
City of Albuquerque

アルバカーキ市内


市旗

位置

上:ベルナリオ郡内のアルバカーキの位置
下:ニューメキシコ州内のベルナリオ郡の位置
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度6分39秒 西経106度36分36秒 / 北緯35.11083度 西経106.61000度 / 35.11083; -106.61000
歴史
市制1891年
行政
アメリカ合衆国
  ニューメキシコ州
 ベルナリオ郡
 市アルバカーキ
市長ティム・ケラー(英語版)
地理
面積 
  市域469.5 km2 (181.3 mi2)
    陸上  467.9 km2 (180.6 mi2)
    水面  1.7 km2 (0.6 mi2)
標高1,619.1 m (5,312 ft)
人口
人口(2023年現在)
  市域555,640人
    人口密度  1,183人/km2
  都市圏916,528人
  備考推計値
その他
等時帯山岳部標準時 (UTC-7)
夏時間山岳部夏時間 (UTC-6)
市外局番505,575

アルバカーキ(英語: Albuquerque、[?alb??k??ki] ( 音声ファイル))は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州の中央部に位置する同州最大の商工業都市。人口は55万5640人(2023年推計)。
概要

1706年に創建され、アメリカ西部で有数の歴史の古い都市。交易の中心地として栄え、19世紀以降入植者が急増した。農牧業が盛んであったが、次第に織物業・機械工業が発達した。また原子力研究の最先端基地でもあった。近年はアリゾナ州同様IT産業の発達における内陸工業都市として注目を浴び人口が増加している。

アルバカーキは観光・保養都市としても知られる。中でもスペイン文化を色濃く残すオールドタウンが観光客の目を引いており、一帯には多くの文化施設やカフェ、土産物店が軒を並べる。近郊にはアメリカン・インディアンプエブロ日干しレンガによる積層集落)が幾つも見られる。同地にはプエブロインディアン文化センター(英語版)があり、プエブロインディアン(英語版)の伝統的な行事や工芸品を見学することが出来る。
歴史

アルバカーキの地はもともとプエブロが住んでいた。南西部にはアサバスカ系アパッチ族ナバホ族が住んでいた[1]

1540年ごろ、伝説の地であるキビラを探すフランシスコ・バスケス・デ・コロナドが今のニューメキシコを探検し、それ以来スペイン人が入植するようになった。

今のアルバカーキの地はボスケ・グランデ・デ・サン・フランシスコ・ハビエル(聖フランシスコ・ザビエルの大きな森)と呼ばれたが、17世紀にプエブロの乱によっていったん放棄された[1]。17世紀末にディエゴ・デ・バルガスによって再植民地化が行われた。

1706年、総督フランシスコ・クエルボ・イ・バルデス(英語版)は町(ビジャ)を設立し、名前をサン・フランシスコ・デ・アルブルケルケとした[1]。これがアルバカーキの成立である。アルブルケルケ(アルバカーキ)の名は当時のヌエバ・エスパーニャ副王だった第10代アルブルケルケ公爵フランシスコ・フェルナンデス・デ・ラ・クエバ(英語版)に由来し、町のニックネームである「Duke City (公爵の町)」もここに由来する[2]。ポルトガルに近くコルク産業の中心地であるスペインのアルブルケルケとは姉妹都市になっている[3]

1821年にメキシコがスペインから独立すると、ニューメキシコはその一部となり、アメリカ合衆国との通商路であるサンタフェ・トレイルが開かれた[1]米墨戦争でアメリカ合衆国に占領された。グアダルーペ・イダルゴ条約でニューメキシコはアメリカ領になり、1851年にニューメキシコ準州が成立した[1]

1880年、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道がアルバカーキを通るようになった。沿線に商店が並んで新しい町が生まれ、もともとのアルバカーキはオールド・タウンと呼ばれるようになった。新しい町は急速に発展し、20世紀にはいるころには州都サンタフェをしのぐようになった[4]。1949年に新しい町がオールド・タウンを併合した[1]

1882年にパーク・アルバート・ヴァン・タッセル(英語版)が石炭ガスを使った熱気球を飛ばした。これがアルバカーキに気球が飛んだはじめとされる。その後1972年に第1回熱気球世界選手権が開催され、これが現在のバルーン・フィエスタの直接の起源とされる[5]

1891年に市に昇格した[1]

シカゴロサンゼルスを結ぶルート66は、はじめ1927年にアルバカーキの南北を貫通する形で開通したが、1937年に東西を貫通する形に改められた[1]。1966年にはI-25I-40インターチェンジである「Big I」が完成した[1]
地理

アルバカーキは北緯35度6分39秒、西経106度36分36秒(35.110703, -106.609991)[6]に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、アルバカーキ市は総面積469.5平方キロメートル (181.3 sq mi)である。このうち467.9平方キロメートル (180.7 sq mi)が陸地で1.7平方キロメートル (0.66 sq mi)が水地域である。総面積の0.35%が水地域となっている。


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