アルハンゲリスク
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アルハンゲリスク
Архангельск

夜のアルハンゲリスク


市章

位置

ロシア内のアルハンゲリスク州の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯64度32分 東経40度32分 / 北緯64.533度 東経40.533度 / 64.533; 40.533
歴史
建設1584年
行政
ロシア
 連邦管区北西連邦管区
 行政区画 アルハンゲリスク州
 市アルハンゲリスク
市長Igor Viktorovich Godzhish
地理
面積 
  市域294.42 km2
標高5 m
人口
人口(2021年現在)
  市域301,199人
  備考[1]
その他
等時帯モスクワ時間 (UTC+3)
郵便番号163000-163071
市外局番+7 8182
ナンバープレート29
公式ウェブサイト : ⇒http://www.arhcity.ru/

アルハンゲリスク(Архангельск [ar?xan???l?sk] アルハーンギェリスク;Arkhangel'sk)は、ロシア北西部の都市。人口は約30万人(2021年)。白海に注ぐ北ドヴィナ川の河口近くに位置する。アルハンゲリスク州の州都。17世紀末にピョートル1世によって海軍軍事基地として開発された。アルハンゲリスクとは「大天使の町」の意味で、戦う大天使(アルハンゲリ)「ミカエル」の名にちなんで命名されたものである。
歴史アルハンゲリスクの河岸(1826年)

この地域は古くからヴァイキングに知られており、12世紀にはノヴゴロド人が北ドヴィナ川の入り江に大天使ミカエル修道院を建立した。ノヴゴロドからの入植者はポモールと呼ばれ、白海から北極海を通じた交易に関与した。1478年にはノヴゴロド公国を滅ぼしたモスクワ大公国に編入された。当時、この地域の商業の中心地は現在のアルハンゲリスクより少し上流の町ホルモゴルイであり、まだアルハンゲリスクは存在しなかった。

1555年イヴァン4世(雷帝)が、北東航路を求めて白海に来航したイギリス商人たち(モスクワ会社)に特権を与えると、北ドヴィナ川河口に毎年イギリス船が送られるようになった。続いてオランダ商人たちも白海での活動を始め、1584年、イヴァン4世はホルモゴルイの下流に町を建設した。はじめはノヴォ・ホルモゴルイ(新ホルモゴルイの意)と呼ばれたが、1613年に近在の修道院にちなみアルハンゲリスクと改められる。バルト海の通航がハンザ同盟とそれに代わるバルト帝国によって支配されていた時代、アルハンゲリスクは、冬期の5ヶ月間は凍結して使用できなくなるものの、ロシアの唯一の海港であり、オランダやイギリス(モスクワ会社)の商人との白海経由の海上交易で栄えた。

1693年、海軍の重要性を認識したピョートル1世によってアルハンゲリスクに造船所が建設される。その後、スウェーデンとの戦争に勝利し、1703年フィンランド湾に臨むサンクトペテルブルクが開かれた。外国貿易の全てをサンクトペテルブルクに集中させる勅令が出た後もアルハンゲリスク経由の貿易はなかなか減らなかったが、次第にアルハンゲリスクの重要性は低下していった。北ドヴィナ川の河岸通り

バルト海の重要性が高まるにつれてアルハンゲリスクは衰退したが、ノルウェー北部の魚介類とロシアの穀物を交換するポモール貿易(英語版)の舞台としてはなお重要であった。19世紀末にモスクワ鉄道で結ばれたことで、主要な輸出品である木材の輸出港として再び活気を取り戻した。ロシア内戦期の1918年から1920年にかけて、町はボルシェヴィキに抵抗する反革命政府、白軍の拠点となり、1918年8月には、共産革命の崩壊を図ったイギリスやアメリカが一時占領した。


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