アルテナ
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区:アルンスベルク行政管区
郡:メルキッシャー郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度17分53秒 東経07度40分15秒 / 北緯51.29806度 東経7.67083度 / 51.29806; 7.67083座標: 北緯51度17分53秒 東経07度40分15秒 / 北緯51.29806度 東経7.67083度 / 51.29806; 7.67083
標高:海抜 190 m
面積:44.42 km2
人口:

16,389人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:369 人/km2
郵便番号:58762
市外局番:02352
ナンバープレート:MK
自治体コード:

05 9 62 004
行政庁舎の住所:Ludenscheider Strase 22
58762 Altena
ウェブサイト: ⇒www.altena.de
首長:ウーヴェ・コーバー (Uwe Kober)
郡内の位置

地図

街の高台に建つ象徴的建造物 アルテナ城

アルテナ (ドイツ語: Altena, ドイツ語発音: [ˈalt?na][2])はドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州アルンスベルク行政管区メルキッシャー郡に属す小都市である。

本市は、12世紀に建設されたアルテナ城の麓に成立した。この城は1914年にリヒャルト・シルマンによって世界初の常設のユースホステルとなった[3]
地理
位置

この街はザウアーラントのレネ川(ドイツ語版、英語版)の谷に位置している。海抜 511 m の最高地点はノイエンラーデとの市境に位置するコールベルクである。最低地点はヒューネングラーベンの海抜 145 m である。市域の面積は 44.3 km2 である。市域の 62 % が森に覆われている[4]
地質学

アルテナは、ライン・シーファー山地(ドイツ語版、英語版)に含まれる。
隣接する市町村

アルテナに隣接する市町村はいずれも、アルテナ自身と同じメルキッシャー郡に属す。アルテナ市は西から時計回りに、ナハロート=ヴィプリングヴェルデイーザーローンヘーマーノイエンラーデヴェルドールリューデンシャイトシャルクスミューレと境を接している。
市の構成

アルテナ市は、ダール市区、エーヴィングゼン市区、ラーメデ市区および内市街からなる。内市街は1969年以前の旧アルテナ市で、アルトシュタット(旧市街)、ネッテンシャイト、ブライテンハーゲンに分けられる。
動植物

動植物の種類が少ないハインジムゼン=ロートブーヒェンヴェルダー(直訳: スズメノヤリヨーロッパブナの森)が市域内の自然の植生の大部分を占めている。いくつかの谷の斜面(たとえばネッテタールのギールスハーゲンなど)には、かつての林業の痕跡が遺されている。小川の谷間には、ヨーロッパハンノキ(ドイツ語版、英語版)やセイヨウシデ(ドイツ語版、英語版)からなる小さな拠水林(ドイツ語版、英語版)が見られる。トウヒトガサワラの植林も広く行われている。2007年の暴風雨キリル(ドイツ語版、英語版)の後、多くの倒木地が草花(アカバナ)で覆われた。植林がなされていないこれらの土地には、カバノキセイヨウニワトコが徐々に生えてきている。小さな谷間の植林がなされていない草地では、ところどころにキクザキリュウキンカ(ドイツ語版、英語版)、ヤブイチゲ(ドイツ語版、英語版)、プリムラ・エラティオール(ドイツ語版、英語版)などの印象深い群生が見られる。石灰岩のレンズ状層(たとえば、グリューネヴィーゼ)には、で風化した周囲の地盤よりも植物種が多い。ここでは、ネオティア・オバタ(ドイツ語版、英語版)やアオスズランといった典型的な石灰質を好む植物が見られる。

多くの小川の谷が刻まれたアルテナのブナの森は、数多くのファイアサラマンダーの棲息地である。ミヤマイモリ(ドイツ語版、英語版)やヒラユビイモリ(ドイツ語版、英語版)は、淀んだ水に棲息する。アルテナの鳥類相は、森林を好む種に支配されており、合計5種類のキツツキが定期的に観察されている。カワガラスはラーメデタールに定住しており、レネタールには冬になるとカワアイサスカンジナビアから渡ってくる。
歴史
概要

アルテナ市は、12世紀に建設された同名の城の麓に築かれた。この城はベルク伯家の傍流が建設したもので、この家系はその後アルテナ伯、後にはマルク伯を名乗った。城の命名の由来は現在明かではない。ゲルマン以前の川の名前に由来するという説がある。ブラバントの「アルテナ」地方もこれに由来するというものである。アルテナという語は中低ドイツ語(ドイツ語版、英語版)の all te na から成立した可能性がある。アルンスベルク伯(ドイツ語版)はこの城の場所を all zu nah(近すぎる)と考えていた。

マルク伯エンゲルベルト3世(ドイツ語版、英語版)は1367年12月20日にアルテナに自由権を授けた。アルテナ城は1392年まで伯の一族の本城であり続けたが、早くも1198年から大部分をハム近郊の居館で過ごしていた。この地域は、1609年ブランデンブルク選帝侯領となった。1753年10月3日からマルク伯領の4つの郡の1つとしてアルテナ郡が設けられた。アルテナは1794年に名目上の都市となったが、都市権は授けられなかった。

ティルジットの和約以後、この街と伯領全域はフランス支配下のベルク大公国に組み込まれた。1815年ウィーン会議の決議に基づき伯領はプロイセンに返還され、新たに設けられたアルンスベルク県に編入され、現在もアルンスベルク行政管区に属している。第二次世界大戦の間、アルテナには親衛隊教育部隊を含む多くの部隊が駐屯した。

20世紀前半に、ネッテタールを通り、エーヴィングゼン/ダーレを経由して、イーメルトおよびヴェスティヒ/ヘーマーへ通じるイーザーローン郡鉄道が開通した。さらに、ラーメデタールを通ってリューデンシャイトに至るアルテナ郡鉄道も開通したが、1961年に廃止された。レネタールを通る幹線だけが存続している。

1969年1月1日にアルテナ郡とそれまで郡独立市であったリューデンシャイトが合併してリューデンシャイト郡が成立した。これに伴い、アルテナはダーレ、エーヴィングゼン、ラーメデタール、グリューネヴィーゼ、ナハロート=ヴィプリングヴェルデの一部を合併し、大きく拡大した[5]1975年1月1日にリューデンシャイト郡、イーザーローン郡、郡独立市のイーザーローン市が合併してメルキッシャー郡が形成された。郡の文化局、社会局、および健康保健局支所がアルテナのビスマルク通りにオフィスを構えた。

2015年のドイツへの難民危機の際、アルテナは全国紙の見出しとなった。この街は定められた割り当てである270人に加え、自主的にさらに100人の難民を受け容れたことから、ヴェルト紙はアルテナを「Mutburger[訳注 1]の首都」と呼んだ[6]。2015年10月3日、2組の難民家族が住む建物が放火された。多世帯住宅の屋根裏から煙を噴き上げた火災はすぐに消し止められ、大きな被害は生じなかった。2人組の犯人が逮捕された[7]。この街に登録された保護手続き下にある難民に対するケアにより、2017年5月にこの街に「国民統合賞」が授与された[8]。市長のアンドレアス・ホルシュタインは2017年11月27日にナイフによる襲撃を受けた[9]
1942年までのユダヤ人の歴史

現在判っているアルテナに住んだ最も古いユダヤ人の名前は、1586年11月11日の財産目録に記録されている Urias である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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