アルスフの戦い
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アルスフの戦い
第3回十字軍

アルスフの戦い

1191年9月7日
場所アルスフ(英語版)近郊
(現在のイスラエル
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度12分09秒 東経34度48分45秒 / 北緯32.20250度 東経34.81250度 / 32.20250; 34.81250座標: 北緯32度12分09秒 東経34度48分45秒 / 北緯32.20250度 東経34.81250度 / 32.20250; 34.81250
結果十字軍の勝利[1]
領土の
変化パレスチナ沿岸部中央(ヤッファを含む)が十字軍の支配下に置かれた

衝突した勢力
アンジュー帝国
フランス王国
エルサレム王国ホスピタル騎士団
テンプル騎士団
他国からの軍団アイユーブ朝
指揮官
イングランド王リチャード1世
ブルゴーニュ公ユーグ3世
ギー・ド・ルジニャン
ガルニエ・ド・ナブルス(英語版)
ロベール・ド・サブレ(英語版)
ジャメス・ド・アヴェーヌ (英語版) 
シャンパーニュ伯アンリ2世サラディン
サファディン
アル=アフダル
アラディン・オブ・モースル
Musek(クルド人の大エミール) 
en:Al-Muzaffar I Umar
戦力
計11,200人[2][3]

歩兵:10,000人

重装騎兵:1,200騎
騎兵:25,000 [2]
被害者数
戦死:約700人(推定)[4]戦死:7,000人(推定)[5]

アルスフの戦い (: Battle of Arsuf ) とは、1191年9月7日に勃発した第3回十字軍における戦闘の1つである。この戦いではイングランド王リチャード1世率いる十字軍とサラディン率いるアイユーブ朝軍が戦った。そしてリチャード1世がサラディンを撃破し、サラディンは多くの兵を失って敗走した。

1191年7月12日、十字軍は港町アッコを占領した。リチャードはエルサレムを奪還するためには要衝ヤッファの占領が不可欠であると考え、アッコ占領後、ヤッファを包囲するために南信を開始した。サラディンはこの十字軍の南進を妨害するため、アッコとヤッファの間に位置する沿岸部の町 アルスフ(英語版)郊外に陣を張り、リチャード1世の到来を待ち構えた。そして十字軍に対して何度も襲撃を繰り返し、隊列を崩そうと試みた。しかし、リチャード率いる十字軍の隊列は堅く、サラディンは隊列を崩すことができなかった。小規模な襲撃では十字軍の隊列を崩すことができないと察知したサラディンは、十字軍が開けた平野を通過する際、全軍をもって十字軍に一斉攻撃を仕掛けた。十字軍は防御体制を保ったまま進軍を続け、リチャードは反撃に最適な機会が来るまでサラディン軍に反撃することなく、十字軍はただひたすら耐え続けた。しかし、サラディンの執拗な攻撃に耐えかねたホスピタル騎士団がアイユーブ軍に対して独断で反撃を敢行した。十字軍の一隊が反撃を開始したことで、戦況的にリチャード1世は全軍に反撃を命じざるを得ない状況に置かれ、ついに十字軍はサラディンに対して一斉に反撃した。十字軍はサラディン軍を粉砕した。リチャードは配下の騎馬隊に対して、敗走するサラディン軍への執拗な追撃を止めるよう下知して再結集させ、そのままアルスフの砦へと入城した。結果、十字軍は大勝利を掴み取った。

アルスフでの戦勝で、十字軍はヤッファを含むパレスチナ沿岸部の中央地域の支配権確立に繋がった。
概要

1191年7月にアッコンを占領したリチャードは、その後険悪になったフランス王フィリップ2世が帰国したことで、エルサレムの再奪回を阻止しようとするサラーフッディーンと単独で対決することとなった。エルサレムを攻撃するためにはまず地中海沿岸の港町ヤッファを奪取しなければならなかったリチャードは、1191年8月アッコンを出発して海岸沿いに南進を開始した。

9月7日にこれをヤッファの北、アルスフで迎え撃ったサラーフッディーンは、十字軍の騎士を誘い出すためにまず軽騎兵による突撃を繰り返した。十字軍側は前衛をテンプル騎士団が、後衛をホスピタル騎士団が固めていた。リチャードは騎士による反撃をできるだけ遅らせ、イングランドクロスボウ隊による撃退を試みたが、この間ホスピタル騎士団はイスラム勢の弓騎兵により大きな損害を被った。ホスピタル騎士団の騎士たちはもはや反撃の命令を待つことができず、サラーフッディーンの右翼に突撃した。これを見たリチャードはすぐさま後に続き、テンプル騎士団も敵の左翼に突撃した。不意を打たれたイスラム勢は打ち破られ、サラーフッディーンは退却を余儀なくされた。

9月10日、リチャードはヤッファを占領し、エルサレム攻撃のための準備を開始した。1192年にはヤッファ奪回のために襲来したサラーフッディーンの撃退に成功したが、守りの固められたエルサレムの奪回は最後まで実現できなかった。
前章: アッコからの南進アルスフの戦いの経過図
紫の矢印 : 十字軍の進軍経路
緑の矢印 : サラディンの進軍経路

1191年、十字軍はアッコを征服した。リチャード1世はこの時、エルサレムの征服のためにはヤッファ港の攻略が必要不可欠であると認識していたため、1191年8月、アッコを出陣し、ヤッファに向けて進軍を開始した。一方サラディンは、十字軍のエルサレム侵攻を妨害するため自軍を結集し、十字軍の進撃を食い止めようとしていた。リチャードは進軍の際、細心の注意を払って自軍を統制して進軍していた。十字軍はアッコ征服の際にサラディン配下のエジプト艦隊の大半を捕らえていたため、海側から攻撃を受ける心配がなかった。それゆえ十字軍は、天然の防壁となっていた地中海を右手に見ながら、海岸沿いを南進するルートをとった[6]

ヒッティーンでの教訓をもとに、リチャード1世は飲料水調達の重要さと熱中症の危険性を十分理解していた。それゆえ彼は、時間がどれほど長引こうとも比較的遅い進軍速度を保ったまま南進した。彼の率いる十字軍は比較的涼しい朝方のみ進軍し、気温が高くなる日中のほとんどは水源の近くで休息をとった。十字軍艦隊はリチャード1世の率いる本隊に沿って沿岸沿いを南進し、補給物資を本隊に調達したり負傷兵の避難所としての役割を果たすなどした。また進軍中にムスリム軍に襲撃されたりヒット・アンド・ラン戦法による攻撃を受ける可能性を考慮して、リチャード1世は縦隊を組んだ上でしっかりとした布陣を取ったまま進軍した。この縦隊は12隊の騎馬縦隊から構成されており、各隊はそれぞれ100騎の騎士で構成されていた。この騎士による縦隊の左側面(内陸側)には歩兵が隊列を組んでおり、騎馬隊を敵の騎馬弓兵による急襲から防御していた。進軍する騎馬隊の左側面を守る歩兵戦列の中でも最も外側に列を組んでいたのは、クロスボウを装備したアーバレスト(英語版)という部隊であった。そして騎馬隊の海側には兵站部隊を配置し、またサラディンの絶えず続く襲撃に疲弊した歩兵部隊の休息もこの場で行われた。リチャードはこのように歩兵部隊をローテーションさせることで、疲弊した部隊を海側に、比較的新鮮な部隊を内陸側に常に配置することで、全軍の防御力を高めていたのだ[7][8]

サラディン軍の弓騎兵から絶えず受ける挑発や散発的な戦闘に苦しめられていたにもかかわらず、リチャードの軍事的指揮能力のおかげで十字軍は規律を維持していた[9]。当時現地に居合わせていたムスリムの年代記編者ベハ・アッディーン(英語版)は当時の十字軍の進軍の様子を以下のように表現している。

The Moslems discharged arrows at them from all sides to annoy them, and force them to charge: but in this they were unsuccessful. These men exercised wonderful self-control; they went on their way without any hurry, whilst their ships followed their line of march along the coast, and in this manner they reached their halting-place.[10]

ベハ・アッディーンは十字軍が装備するクロスボウとサラディン軍が装備するの性能の違いについても記述している。彼は進軍するフランク人(英語版)の歩兵には、武装した背中に1本から10本の矢が刺さったままの兵士を目視したというが、彼らのうち誰も痛みを感じている様子はなかったという。それに対して十字軍が放ったクロスボウの矢はムスリム軍の軍馬・騎兵共に撃ち倒していたという[11]。このことから弓とクロスボウの性能に大きな差があったことが読み取れる。
サラディンの戦術1190年の中東の情勢。

十字軍の兵士たちの進軍速度は、兵站部隊と歩兵の進軍速度に合わせられていた。


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