アルスター・ロイヤリズム(英: Ulster Loyalism、愛: Dilseachas)は、北アイルランドをイギリス内に維持するための政治運動である。ほとんどのユニオニスト(英国王室と憲法への忠誠を公言する島の政治的伝統)と同様に、ロイヤリストは英国王政に執着し、北アイルランドの存続を支持し、アイルランド統一に反対している。アルスター・ロイヤリズムはイギリスの愛国心の一形態である[1][2]。 アルスター・ロイヤリズムは、19世紀後半にアイルランド自治法やカトリックのアイルランド民族主義の台頭への反応として出現した。 アイルランドの大部分はカトリックの土着民だったが、アルスター地方では一旦無人になった後でスコットランドから入植してきた者の子孫のプロテスタントがほぼ過半数を占めていた。また、アルスターはアイルランドの他の地域よりも工業化が進んでおり、イギリスとの貿易に大きく依存していた。ロイヤリズムは、独立したアイルランドの一部になることを望まないアルスター・プロテスタントの間での民族自決として始まった。 アイルランドのカトリック教徒の中にはユニオニスト
概要
分割以来、ほとんどのロイヤリストは、北アイルランドがイギリスの一部としての地位を維持することを支持してきた。「ユニオニスト」と「ロイヤリスト」という用語はしばしば互換的に使用される。
ロイヤリストはまた、英国政府や制度よりも、主にプロテスタントの英国王政に忠実であると表現されている[3]。ギャレット・フィッツジェラルドは、ロイヤリストは「連邦」ではなく「アルスター」に主に忠誠を尽くしていると主張した[4]。
少数のロイヤリストは、自分たちの大義を支持するために英国政府に頼ることはできないと信じ、独立したアルスター・プロテスタント国家を求めている。
北アイルランドには、プロテスタントの忠実派のマーチングバンドの伝統がある。何百ものバンドが存在し、毎年多数のパレードを行っている。 「ロイヤリスト」という言葉は、1790年代にアイルランドの政治において、カトリック解放とアイルランドのイギリスからの独立に反対するプロテスタントを指すために初めて使われた[5]。日本語では、「英国王党派」、「王国忠誠派」とも訳される。 1921年にアイルランドが分割された際、アルスター地方の9県のうち6県は独立したばかりのアイルランド自由国(後のアイルランド)に加盟せず、イギリスの一部として残った。1926年の学術的に引用された記録によると、当時の北アイルランドの人口の33.5%がローマ・カトリックで、62.2%が三大プロテスタント(長老派31.3%、アイルランド聖公会27%、メソジスト3.9%)に属していた[6]。 北アイルランドのカトリック教徒(アイルランド統一を支持)とプロテスタント教徒(イギリス残留を支持)との間の緊張関係は、1960年代後半から1990年代後半にかけて、「厄介事」として知られる血なまぐさい反乱を長く続けてきた。
背景
政党ベルファストのシャンキル通りの脇道にある建物に描かれたロイヤリストの落書きと横断幕(1970年)
活動中の政党
民主統一党
アルスター統一党
伝統的ユニオニストの声
進歩統一党(アルスター義勇軍やレッド・ハンド司令部と連携