アルクイユ
行政
国 フランス
地域圏 (Region)イル・ド・フランス
県 (departement)ヴァル=ド=マルヌ県
郡 (arrondissement)ライ=レ=ローズ郡
アルクイユ (Arcueil、フランス語発音: [a?k?j])はフランス中央部、イル=ド=フランス地域圏のヴァル=ド=マルヌ県のコミューン。アルクイユ・エ・カシャン水道橋 (fr:Aqueducs d'Arcueil et de Cachan) で有名である。アルクイユの水道橋はアルマン・ギヨマンによって描かれている。 アルクイユという地名は1073年にラテン語で「in pago Arcolei」(アルクイユの村で)として初出する[1]。フランス語での初出は1265年の「en la ville d'Arcuel」(アルクイユの村で)である[2]。 アルクイユという名前はラテン語でアーチを意味するarcusにガリア語の接尾辞 ialo(村、土地)を加えたもので、「アーチの場所」を意味し、水道に関連した名称である[3]。カシャン水道は1757年の地図にまだ描かれていた[4]。 ビエーヴル川 2010年時点で面積の90%が市街地で、そのうち約45%が公営住宅である。数十年にわたる都市化の進行で、レンガ造りやコンクリート建築といった新旧様々な様式の建築物が乱立している。
名称
地理
交通
道路 - A6、高速道路N20
鉄道 - RER B線ラプラス駅(Laplace)、アルクイユ=カシャン駅(Arcueil-Cachan)
観光メディシスとベルグランの水道
ガロ・ローマ時代の水道橋
ホームガード
居住その他ゆかりある人物
アドリエンヌ・ボーラン - 女性パイロット。同市出身。
ピエール=シモン・ラプラス - 数学者、物理学者。1806年にこの地に移住し、科学の研究会であるアルクイユ会 (Society of Arcueil) を創った。メンバーにはクロード・ルイ・ベルトレー、ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ジャン=バティスト・ビオなどがいた。
エリック・サティ - 作曲家。居住・埋葬の地。1920年代にサティは4人の作曲家からなるアルクイユ楽派 (fr:Ecole d'Arcueil) の成立を宣言した。
脚注^ DEPOIN (J.) Chartes et Documents de Saint-Martin-des-Champs (1912), t.1, p. 36. 212, 247.
^ DEPOIN (J.) Chartes et Documents de Saint-Martin-des-Champs (1921), t.5, p. 62.
^ Ermete Pierotti. Dictionnaire historique des environs de Paris
^ 1757年ごろのカッシーニの地図(フランス国土地理院)
モンルージュジャンティイ
バニュール・クレムラン=ビセートル
アルクイユ
カシャンヴィルジュイフ
表
話
編
歴
パリとその郊外
No.75 パリ
1区
2区
3区
4区
5区
6区
7区
8区
9区
10区
11区
12区
13区
14区
15区
16区
17区
18区
19区
20区
No.77 セーヌ=エ=マルヌ県
ムラン(県都)
サヴィニー=ル=タンプル
シェル
ビュシー=サン=ジョルジュ
ポントー=コンボー
モー
No.78 イヴリーヌ県
ヴェルサイユ(県都)
ウイユ