アルガイオス2世
?ργα?ο? Β?
マケドニア王
在位紀元前393年 ? 紀元前392年
出生不明
死去不明
王朝アルゲアス朝
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アルガイオス2世(古代ギリシア語: ?ργα?ο? Β?、ラテン文字転記:Argaios II、紀元前4世紀、在位:紀元前393年 ? 紀元前392年、生没年不明)はマケドニア王、あるいは王位請求者である。
紀元前393年にイリュリア人によってマケドニア王アミュンタス3世が王位を追われた。この時アルガイオス2世は王位について2年間君臨したが、アミュンタスに取って代わられた[1]。
紀元前360年にアルガイオスは再び王位奪取を試みた。彼は時のマケドニア王でアミュンタスの息子ピリッポス2世とアンフィポリスをめぐって対立していたアテナイと手を結び、アテナイはマンティアス
率いる重装歩兵3000人をマケドニアに送った。メトネに停泊したマンティアスによってアイガイまで送られたアルガイオスはアイガイの人々に自分を王と認めるよう説得したが、失敗したため、メトネに戻った。さらにその上、ピリッポスがアテナイ軍に攻撃を仕掛けてそれを破ったため、アルガイオスの王位奪取の試みは失敗に終わった[2]。その後のアルガイオスについては不明である。先代
アミュンタス3世マケドニア王
紀元前393年 ? 紀元前392年次代
アミュンタス3世
表
話
編
歴
マケドニア王
アルゲアス朝
カラノス前808-前778
コイノス前8C
トゥリマス前8C
ペルディッカス1世前700?前678
アルガイオス1世前678-前640
ピリッポス1世前640-前602
アエロポス1世前602-前576
アルケタス1世前576-前547
アミュンタス1世前547-前498
アレクサンドロス1世前498-前454
アルケタス2世前454-前448
ペルディッカス2世前454-前413
アルケラオス1世前413-前399
クラテロス前399
アルケラオス2世前396-前393
オレステス前399-前396
アエロポス2世前399-前393
パウサニアス前393
アミュンタス3世前393
アルガイオス2世前393-前392
アミュンタス3世前393-前369
アレクサンドロス2世前370-前368
ペルディッカス3世前368-前359
アミュンタス4世前359
ピリッポス2世前359-前336
アレクサンドロス3世前336-前323
ピリッポス3世前323-前317
アレクサンドロス4世前323-前309
アンティパトロス朝
カッサンドロス前305-前297
ピリッポス4世前297
アンティパトロス2世前297-前294
アレクサンドロス5世前297-前294
アンティゴノス朝
デメトリオス1世前294-前288
諸家
リュシマコス(ピュロスと共同統治)前288-前281
ピュロス(リュシマコスと共同統治)前288-前285
プトレマイオス朝
プトレマイオス・ケラウノス前281-前279
メレアグロス前279
アンティパトロス朝
アンティパトロス・エテシアス前279
ソステネス前279-前277
アンティゴノス朝
アンティゴノス2世前277-前274
エピロス王家
ピュロス(復位)前274-前272
アンティゴノス朝
アンティゴノス2世(復位)前272-前239
デメトリオス2世前239-前229
アンティゴノス3世前229-前221
ピリッポス5世前221-前179
ペルセウス前179-前168
アンドリスコス(僭称者) 前149-前148
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