アルカトラズ刑務所
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「アルカトラズ」はこの項目へ転送されています。

その他の用法については「アルカトラズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

アルカトラズ島
IUCNカテゴリV(景観保護地域)
2020年撮影
地域アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ湾
最寄りサンフランシスコ
面積7.63 ヘクタール(22.86 エーカー)
創立日1934年
運営組織アメリカ合衆国国立公園局


アルカトラズ島
アメリカ合衆国国家歴史登録財
アメリカ合衆国国定歴史建造物

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所在地カリフォルニア州サンフランシスコ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度49分36秒 西経122度25分22秒 / 北緯37.8267199度 西経122.4228329度 / 37.8267199; -122.4228329
建設1847年
建築家アメリカ軍
建築様式ミッション/スパニッシュ・リバイバル
NRHP登録番号76000209
指定・解除日
NRHP指定日1976年6月23日[1]
NHL指定日1986年1月17日[2]

アルカトラズ島(アルカトラズとう、: Alcatraz Island)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ湾内、サンフランシスコ市から2.4kmのところに浮かぶ、面積0.076km2の小島である。昔は灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして1963年まで連邦刑務所として使用され、ザ・ロック、囚人島、監獄島とも呼ばれている。1972年、国立レクリエーション地域となり、1976年及び1986年にランドマークの指定を受けた。

現在、この島の北側にある軍事基地と移民や捕虜の収容施設となったエンジェル島とあわせて、アメリカ合衆国国立公園局が運営するゴールデンゲート国立保養地の歴史地区の一部となっており、一般観光客に公開されている。観光客は、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフ近くのピア33からフェリーで島に渡ることができる。

カモメを始めとした海鳥の生息地としても知られる。
歴史
前史・軍事要塞時代

近隣に居住していたインディアンが魚や海鳥の卵を食糧として獲得するためにカヌーで上陸を試みていたようである。ただし彼らはこの島が呪われていると信じており、定住する者は存在しなかった。

1775年スペインの海軍士官フアン・デ・アヤラが、サンフランシスコ湾を測量して海図を製作し、この島に "La Isla de los Alcatraces" と名づけた。スペイン語で「ペリカンの島」という意味である[3]。これがやがて英語風に短縮されて Alcatraz となった[4]

メキシコによるカリフォルニア統治時代の終わりころ、メキシコ政府から、ジュリアン・ワークマンという帰化メキシコ人に、島に灯台を建設する条件で島の所有権が譲渡された記録がある。米墨戦争(1846年 - 1848年)中にアメリカがカリフォルニアの支配権を得ると、ジョン・C・フレモントが、「カリフォルニア総督」としての資格でこの無人島を購入した。しかし、1850年、ミラード・フィルモア米大統領の命により、メキシコ政府の所有物はアメリカ政府に承継されたとの根拠に基づき、島は軍事目的のために取り上げられた。このため、フレモントによる島の購入は無意味になってしまい、フレモント及びその相続人から政府に対して何度も訴訟が起こされ、法的紛争は1890年代まで続いた[5]

1848年、シエラネバダ山脈の麓で金が発見されてゴールドラッシュが始まり、サンフランシスコは多くの船が寄港する重要な地となり、灯台が至急必要になった。1850年の連邦議会予算に、アルカトラズ島を含む太平洋岸の八つの灯台建設が盛り込まれた。1852年に、島で最初の恒久的建造物となる灯台ができた。1853年には、ゼラス・B・タワー中尉が、アルカトラズ島をサンフランシスコ湾の守りとするための要塞化工事に着手した。南北戦争(1861年 - 1865年)の直前までに、86門の大砲が島を巡らすように設置された。南北戦争中は、アルカトラズ島は南部連合のサンフランシスコ湾への侵入を防ぐ役割を果たした[5]

南北戦争が終わると、島に設置された旧式の大砲は時代遅れになってしまったため、徐々に撤去された。それに代わって、防弾壁が島を取り囲むように建てられた。内部には弾薬庫などが設けられていた[4]
軍事刑務所化

南北戦争の前後から、島は監獄としての役割も果たすようになった。地下の留置場に、島内や周囲の砦から送られた脱走兵、窃盗犯、酔っ払いなどが収容された。1861年、アルカトラズ島は太平洋省の軍事刑務所として正式に指定された。南北戦争中には、反逆罪で捕らえられた南部連合派のカリフォルニア市民もここに収監された。収容者は増加し、1863年ころロウアー・プリズン (Lower Prison) と呼ばれる刑務所棟が建てられ、19世紀末ころまで平均100人を収容していた。アメリカの西部開発に伴って、アメリカ政府とインディアンとの紛争が多発し、反乱罪などでアルカトラズ島に送られたインディアンも多かった[4]1895年当時のアルカトラズ島

米西戦争(1898年)の時は、フィリピンへの遠征で熱帯病に罹患した帰還兵がアルカトラズ島の病院に収容されたり、身柄を拘束された兵士が多数収監されたりした。新たな刑務所棟が必要となり、1900年、閲兵場にアッパー・プリズン (Upper Prison) が建設された。ロウアー・プリズンは囚人の運動場となったが、1902年の火事でロウアー・プリズンは危うく焼けるところであった[4]

1906年サンフランシスコ地震で街が壊滅し、市内の刑務所に火災の危険が迫ると、そこにいた一般の受刑者176人が急遽アルカトラズ島に移された。このころから島は本格的な刑務所へ転換することとなり、今までの歩兵に代わり軍看守が配置され、1907年には島は「アルカトラズ島・合衆国軍事刑務所太平洋支所」との指定を受けた。砦は取り壊され、1912年に3階建ての大型監房棟が島中央にでき、合計600の監房、厨房、食堂、病院、運動場、管理事務所などを備えた大刑務所となった。発電所も建設された[4]

1915年、島は「合衆国矯正兵舎太平洋支所」と改名され、教育と更生に力点が置かれるようになった。受刑者は、軍事訓練、矯正教育、職業補導などを受けた上、刑期満了後は、多くは軍務に復帰した。処遇は開放的で、夜間は監房に収容されるが、昼間は各自の仕事、授業、レクリエーションで時間を過ごした。規律違反の場合は、独房に収監されたり鎖につながれたりした。しかし、立地上、島内への水と食糧の供給に費用がかかったため、1930年代初頭の大恐慌もあって、アメリカ軍は1933年、アルカトラズ島の刑務所を閉鎖することとなった[4]
連邦刑務所時代


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