アルカイック期(アルカイックき)は、ギリシアの歴史における、紀元前8世紀からペルシア戦争中・紀元前480年のクセルクセス1世の侵略までの期間を示す[1]。暗黒時代と古典時代の間に位置する。アルカイック期の始まりと共にギリシアの人口は爆発的に増加し[2]、同時にいくつもの重要な変化が起こった[3]。Anthony Snodgrassによれば、古代ギリシアのアルカイック期はギリシア世界の2つの変革に関連している。すなわちこの時代は、ギリシア世界の政治的な機構を明確化した「構造改革」、およびギリシアに特徴的な諸都市、ポリスの建設に始まり、古典時代の「知的改革」に終わる[4]。 アルカイック期はギリシアの政治、経済、外交関係、戦争、そして文化の発展が見られる時代であり、政治的・文化的に古典時代の基盤となっている。ギリシア文字が考案されたのもこの時代であり、現存する最古のギリシア文学、巨大な彫刻や赤絵式の壺などが作られ、重装歩兵がギリシアの軍隊の中核を為すようになった。アテナイでは、民主主義の最初期の制度がソロンの下に整備され、アルカイック期の終盤にはクレイステネスによって、古典時代のアテナイ民主主義と同様の制度に改正された。スパルタでは、スパルタのリュクルゴスによる様々な制度の改革が行われ、メッサニアがスパルタの支配下に組み込まれた。また、ヘイロタイが導入され、ペロポネソス同盟によってペロポネソス半島内で優位を誇った。古代オリンピックが開催されたオリュンピアのギュムナシオンとパライストラ。慣例的に、アルカイック期は最初の古代オリンピックが行われた年に始まったとされる。 「アルカイック」という言葉はギリシア語で「古い」を意味するarchaios(アルカイオス)に由来し、古代ギリシアの歴史において古典時代よりも前の時代を表す。この時代は一般に紀元前8世紀から紀元前5世紀初頭まで[5]、具体的な出来事としては、紀元前776年の古代オリンピックの基礎の成立からペルシア戦争中・紀元前480年のクセルクセス1世の侵略までとされる[6]。アルカイック期は長い間、古典時代に比べて重要でなく、その前兆として研究されてきたが[7]、近年では、アルカイック期自体について研究されるようになった[4]。このようなアルカイック期に対する再評価に伴って、一部の研究者は、「アルカイック」という用語には、英語において「旧式の」「時代遅れの」という意味が含まれることから異を唱えている。
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